afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

完全なる飼育。

ちょっぴりエッチなタイトルになったのはこの記事を読んだせいである。

goldhead.hatenablog.com

 

てかホントは今日はこれを書くつもりやったんや。

 

幼年期の終り

幼年期の終り

 

GWの頭くらいに「これを読め15選」みたいな記事で推されてたので、ダラダラ読んでた。

いうほど徹夜間違いなしじゃねえよな、って序盤は思ったけど、中盤以降の展開はスリリングやね。

序盤の雰囲気もいいんだけど、オーバーロードが正体あらわした後の方が好きかな。

掌で踊らされててムカつく、そのエネルギーが内に向かうか、外に向かうか。

その分岐した後が面白い。

何といっても人類の終焉がいいね。

素晴らしい。

争わないんだけど、君たちもうどうしようもないんだよ、って感じがすごい良い。

クラークさんはあれだ、ホントにひどい(褒め言葉)。

これほどの断絶をよくぞ思いついた。

想像するしかないけど、ご家族のいらっしゃる人にとっては辛すぎるオチだろうなっておもう。しかしそれだけにとても効果的な結末。ある程度「知ってた」になるジョージ夫妻や、ニューアテネの市民はいいけど、それ以外のご家族にとってこのオチの辛さはいったい如何ばかりか。

 

ぶっちゃけ、現生人類なんざどうでもいいんだよ。

 

ってクライマックスでこれでもかとばかりに描写されるのもいいよね。

 

絶望した?

ねぇ絶望した?

 

って地味に煽ってるオーバーロードも鬼畜。ホント素晴らしい。

 

あなたがたがこの世にもたらしたものは、

産みの親のあなたがたとは まったく相容れないだろうもの

あなたがたの欲望または願望の、一つとして分かち合うことのないであろうもの

あなたがたの成しとげた最大の業績をも、児戯に等しいナンセンスとみなすであろうもの

ーーしかも、すばらしいもの

 

まったく切断されてるのに、それが「素晴らしいもの」だから怨むに怨みきれないこの感じ最高。

だからと言って、諸手を挙げて喜ぶ気にもなれないのも最高。

中途半端な落ち着かない気分のまま「お前らここで終わりじゃよー」ってなるのがもうホント最高。

 

たぶんそういう作品じゃないんだろうが・・・いや、いちおう不愉快になることは想定していたようだけども・・・、この破局カタルシスが不快感をいっぱい上回る。

 

滅びる話は好きだったけど、この種の救いのなさはほとんど初めてだったのですごくおもしろかったです。今まで読まないで損してた。

 

未読の方には是非おすすめです。

旧いけど、読んで損はしない傑作だと思いました。

テレビのシリーズものに遅れないようについていくのが、一日がかりの仕事にもなりかねないのです! 

 とか、端々に出てくる未来予想も見所ですので、是非。

観測範囲の違いをいっぱい感じる。

 ので、メモ。

anond.hatelabo.jp

 

ブコメだと増田いっぱい叩かれてるけど。

「節約すればイケル!(主に自炊)」

ってコメは正直どうなんだろうと思った。

 

節約するのにも体力要るぞい。

カラダでもアタマでも、どっか不調をきたしたから保護に頼るんでないのかい。

 

昔々の話だが

うちの近所にも生活保護受けている人たちがいた。

受けている、ではなく、受けていた、だな。

低いおちんぎんの肉体労働やってて、事故って働けなくなった時にお世話になってた。

元々おちんぎん低い中で暮らしてたのでそりゃ働けなくなったら困るよな、てことで、そういう時は頼っても普通だろ、と思ってたし、今も思ってるので

「腕が折れた? ならもう一方の手は正常だな! 頑張れば自炊はできるよな!!」

みたいな励まし溢れるブコメには色々と違和感がある。

 

ケガ人なり病人なりは、治療に専念してもらった方がよくない?

 

生保支給が永続しそうで、なおかつ自助の姿勢が見えない、そんな感じのが自分の身近にいたらイラッとするかもしれない。

ただそういうのには幸いにしてか、今まで出会ったことがないのでブコメの反応がいっぱい不思議。

生活保護ってそこまで普遍的に認められてる集りの道具なの? 吾の知らない世界すぎる。

 

えらい殺伐とした気分になったので書いとく。

別に他人とつながらない、ヒトに無関心なのは全然かまわんと思う。

吾もそうだし。孤独は悪みたいな空気は死ね豚ども、って思う。

 

ただな。ぶん殴るときだけ人と関わり合いたいってのはNGやと思うよ。

ぶん殴るにしてもだ、見ず知らずの愚痴ってる増田ではなく、実際に生保に集ってるという自らの知己の人に殴りかかるべきではないだろうか。

 

周りに生保受給者いないけど、ブコメがぶっ叩いてるしそうなんだろう、みたいな軽いノリでやってるのだとしたら、ご用心ご用心。

 

※追記。

ちょっと言葉がすぎたね。

いずれアタマを冷やす。

ただ殴るなら、やはり手の届く相手、個別具体的な対象にとどめておくべきだと思う。

呪いすぎて制度まで悪意の塊であると見做すのはよろしからず。

 

とはいえ、吾もブラック企業の報道に接するたびに

「しょせん本邦の経営屋はこの程度の小人しかおらぬ」と勝手に臆断しがちなんで

悪意というのは対象を膨らまして見がちになるのかもしれない。

これこそご用心ご用心、やね。

 

オレはオレ的にオレが好き。(何年かぶり3回目)

 

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

 

 

あんま面白くなかったよ。

古いからだろうね。

あと自分が明らかにこの本の想定読者からは外されてる感が伝わってくる。

ここで語られてる「病的に自分が好きなひと」自己愛過剰。めちゃくちゃ自分やんけ!

ってなったし。

 

そういう人にふりまわされてる気の毒なあなたのための処方箋、という体なので、ふりまわしてる側に近いであろう自分には響かなかったな!

 

それはそれで棚上げして疑問なんだけども。

この本の「新型うつ」の解説、大丈夫ですか?

そろそろ10年前の本だから、認識が古いのは不可避なのかもしれないけど、

「新型うつ=甘えなので」

「おまえら周りで困ってる人はそうは見えないだろうけど、本人はめちゃくちゃ苦痛だから仕方ないと思え」

「今までの従来うつは責任感の強い奴が自分で自分を追い込んでなったパティーン」

「新型うつは自分の思い通りにならないリアルとの折り合いがつけられずに病むパティーン」

 

これってさ、合ってるの?

新型うつという奴は詳しく知らない。ただこの手の言説で

「遊びに行くのはできるのに、仕事は出れない腐ったうつ」

みたいなことを言ってた2ch(5ch)や、その他の匿名交流サイトでけっこう炎上してた記憶がある。

そして、今時はこういう風な認識でいるとヤバいみたいな雰囲気が醸成されてるように感じられる(吾の周りでは)。

なので、「え、いいのかこれ?」ってかなり著者の見識が不安になったけど、2012年ごろはこういう認識の方が普通だったのかしらん。

メンタルヘルス周りはいろんな言説が流行って廃ってぶつかり合って目まぐるしく変転するので、あまり迂闊に触れることはしない方がいいと分かってるんだけども。

自分の知ってる(つもりだった)「(それでも動けない)新型うつ」の辛さみたいなのとは認識がだいぶ違ってて戸惑いました。

遊びはOK,仕事はダメってのはそもそもうつ患ってる本人が選択したわけではなくて、なんか肉体的な変調でそうなってしまってる(ので、家族と居るのはクソ苦痛、仕事してるほうが幸せというのが行き過ぎた奴も「新型うつ」の惧れ、みたいなのを読んだおぼろげな記憶)。だから傍目で思うほどお気楽ずる休みなうつじゃないんだよって認識してました。

この辺はまた気が向いたらもうちょっと新しめの、新型うつ概説の本でも読んだ方がいいのかもしれません。

 

本筋にもどって。

自己愛過剰の問題。

大体いっぱい自己愛過剰だよ、って2012の段階で指摘されてて、それはさらに悪化してる感がある。

それでも人は繋がらなきゃいけないんだ、社会参加を通じて自己愛の充足を目指さなきゃいけないんだ、てのが本書の主張(じゃないと殺風景な社会になるよ、と)。

 

うん。

言うことは分かる。

けど殺風景でいいんじゃないかなって吾なんかは思う。

自己愛過剰と付き合う方法=距離をおく。

という処方箋を示してるんだから、それでいいじゃない、って思うのよね。

自己愛過剰を抱えた人の病を癒すのは、どうやら今のネッツ全盛な社会では難しいようだし。

それでもなお、俺は自己愛過剰の輩を包摂する!

って構えからなら、「人は繋がらなきゃいけない」という言葉は傾聴に値すると思う。

 

しかし。

俺は自己愛過剰の輩とは距離を置きたい。

だけども、自己愛過剰の輩が孤立するのは世の中の負担が大きい。

よって、「俺の所属しないどこかの共同体・社会」が自己愛過剰の輩の社会参加を受容せよ。

俺んところに面倒もってくんな。

ってんならそれは、形を変えたもっとも醜悪な「自己愛過剰」じゃないかなって思った次第です。

 

・・・この辺は完全に下衆の勘繰り、偏見だけどね。

なにはともあれ、中庸が一番大事で、睡運瞑菜こそが人生の王道というのは本書でもまた実証されたよな・・・と感じました。

 

バランスのいい食事と運動、睡眠をとることで精神の安定を取り戻しましょう。