afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

これは厭味で言っているわけではなく。

かなり素の感想なんだけども、説明しきれてないと思ったんで備忘的に。

 

生活と意見: ソーシャルディスタンスなどと称してユーザー名や文章にスペースを挟む行為についての苦情 · GitHub

 

生活と意見: ソーシャルディスタンスなどと称してユーザー名や文章にスペースを挟む行為についての苦情 · GitHub

「誰かの代わり」に怒ってるわけじゃないってのを表明してるのは好感。三割でこの粘着質を誇る言い回しも小賢しくて好き。「ただ俺がイヤなだけ」という言説の説得力の無さを示す典型的な例文として参考にしたい。

2020/05/10 21:27

 

ブコメだけ見ると貶してるように見えるし、そう書いてる。

まあ詳しくはリンク先を読んでください。

該エントリを書いた人の言いたいことはだいたい

・いい気になってソーシャルディスタンスっぽい文字打ちしてる奴、それで迷惑蒙る奴も居るからやめろ。

って話。

 

「夏葉さんのカトレア、可愛いですー!!」

ってのを

「夏葉さんのカトレア、か゛わ゛い゛い゛で゛す゛ー゛っ゛ ! ! 」

みたいにするのはやめろっていうようなもんである。

 

んで。

まあそれはそれとして序盤でこの筆者は

「オレのこの主張は当該表現(無駄なスペースでスッカスカ)で実際に被害を受けた人の意を代弁するものではない

つってるのがいいよね、って思ったの。

 

ここんとこ、多すぎやんか。

他者の立場を慮ったふうに見せかけたオレサマの正義の発露が。

 

俺の場合、該エントリのような乱暴な言葉

※例

「ああ、知性の欠落した野蛮人によってインターネットが破壊、蹂躙されているな」

 などよりも、どれほど叮嚀な表現っぷりであろうが

「俺そのものはとりあえずここでは措くとして、○○のことを考えろよ?」

みたいな圧の方が気持ち悪いし、大嫌い。

 

いやいや。

お前が代弁したつもりになってる○○(なんでも適当な対象を入れてみましょう)。

実のところ、そんなに深くコミットしてないやろ?

って反発が湧く。

 

それよりは根拠がクソ薄弱でも「俺はこう思う」の方が俺は好き。

俺も空気にはめちゃくちゃ弱い動物だからね。

今の日本社会にほんの欠片でも参画せざるを得ない一市民でしかないので、

「俺はこう思う」て物言いなら「知るか勝手に思ってろ」って対抗できるけど

「俺はいいけど世の中はどうだろうね?」みたいに言われるとそれは浮足立ちますよ。

腹の中では「死ねばいいのに」と思いつつ、よく分からん事情(ものすごく多い)なら

「背負ってるっぽい物言いだし、こいつの言うことが正しいんだろう」

って流される程度には芯のない動物です。

 

そんなフラフラした人間なので、

「これは何かを背負った物言いじゃないです、ただの愚痴」

っていうのはとてもホッとする。

 

にも拘らず、該エントリに対する評価が辛い物になったのは、終盤のこれ

(前略)視覚のハンディキャップを持っていたり日本語を読むのに翻訳が必要なユーザーに対して「あなたたちの存在は重要ではない」という空気を醸成する行為だ。

 ※強調は引用者による。

 

がめっちゃくちゃ気に入らなかったから。

叮嚀に予防線張ってるつもりかもしれんが、予防になってねえよ。

「俺が引き受けるつもりの言葉」なら軽々しく「空気」なぞ持ち出すな。

筆者のやってることは、ただの無知をも捕まえてその自粛を促す、逆方向の空気の醸成そのもの。

せっかく長々と「この支障を支障と考えない視覚障碍者いるかもしれない」として彼らを代弁するものではないと予防線を張り、俺の言葉だと主張しながらも、オチの段階では「迷惑を被っている視覚障碍者」を仮想して無知なまま流行に乗ってるTwitter連中をDISってる。

 

台無しじゃん。

 

自分の言葉に力がないのをはっきり正面から認めて、それでも自分の及ぶ範囲で何らかの影響を残したいよね、という覚悟を込めての「誰の代わりでもない」表明だったんだと思ってたんだが。

 

こういう取り繕ってなんとか体面を保とうとしつつ頑張ってる文章、ちょっとイイ感じに賢しらぶってエレガントな煽りをやろうとしてるけど、根っこのネチャッとした性根が見え隠れする文章はキライじゃない。

キライじゃないけど、引き受けようと表明した範囲を超えて影響を及ぼそうとするオチはアウト。最期の「この文章を書く俺の背後には相応に困ってる人がいるんだよ」みたいな臭わせ、気持ち悪いっス。

そういうのなしで「※個人の感想です」をぜんぜん超えない無名匿名のド素人の文章でさえも、どこかに「読んじゃったら引っかかっちゃう」個体もいるのがホモサピの面白いところなのに、なんで大きく見せようとしちゃうのかなぁ?

しょせん「背後にたしかに誰かがいる」エビデンスも示すことのできない「俺の書いた」雑文なら、刺さる奴にだけ刺されば十分っしょ?

 

俺は、そんな風に思ってます。

あえてズラしていってるでしょ。

って思った。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

前のエントリと合わせてもちょっとうやむやにしてるところあるよなぁ、って。

 

シロクマ氏の想定してる「生きにくい人」像と

ブクマカたちが想像したであろう「生きにくい人」像がズレてる。

 

これ何でかって思ったらたぶん、

「旧弊で利益を享受してきたけど、現状に合わせられない人」と

「とにかく根源的にコミュが苦手な人」とをごっちゃにしてるからだ。

 

ブクマカたちにはシロクマ氏の言説が前者を擁護する言葉にめっちゃくちゃ見えてる(と思う)。

そのことに気づいてるのか気付いてないのか知らんけどシロクマ氏は

「根源的にコミュが苦手な人」にとって生き良い世界なのかどうか、と語ってる(風に見える)。

 

 

俺はこういうふうに二つに分けて読んだ、というのを前提としてですね。

まず疑問なんすけど

「そもそも根源的にコミュが苦手だった人、今までの時代で救われてたの?」

っていうのがすごい疑問。

 

シロクマ氏が例示してる「昔は良かった風味」の粗暴感も、それで救われてるのは「現状に合わせられない人たち」であって、その粗暴さへの許容、おおらかさで「コミュが苦手な人」が救われてきた社会、だったとは思えないんだけど・・・どうなんでしょ?

 

いやまあ、今の言葉狩りっつーか

「社会にとって俺の方が価値がある!!」

とか他者の失点を声高にあげつらって寄ってたかってぶん殴ることで、資源の簒奪を図る風味になりがちなのがいいのか悪いのか、って言われるとそれは分からんですよ?

 

 

つか、そもそも限られたパイの奪い合いなんだから粗暴だった頃も、なんだか繊細になってるらしい今も、ROEが違うだけで戦争しあってることには変わりないよねって思うの。

粗暴だった頃はロールモデルがあってそれに沿ってれば強者側だったのが

今はそれぞれ自分のお気持ちに沿って不当な侵害を糾弾できる奴が強者になるってだけで。

戦争のルールが変わっただけだよね。

生きにくくなりそうだ、という表明は分かりつつ

より生きにくくなる人が増えるのではないか、というのはちょっと根拠が薄いかなって感じた次第。

 

 

 

んで、話はまったく変わるんだけど。

どっちの形の戦争であれ気持ち悪いんだけどさ。

その戦術として徒党を組まなきゃいけないのは分かる。

多数派を握って抵抗する勢力を圧倒して資源を奪うことが道理なのも分かる。

 

分かるんだけども、こういう時に出汁にされる方としては溜まったもんじゃないんじゃないのかなぁ?

って。

 

アジテーターや運動家や弁の立つ人にはつくづく思うのだけど、誰かの代弁者になることに抵抗感が薄すぎないか。

弁の立たない「表明の下手くそな弱者」を代弁できるのは俺だと自負しすぎてないか。

何よりもそこに気持ち悪さを感じる。

 

 

世間の動員の容易そうな(同情を集めやすい属性の)キャラクターを引っ張ってきて

「ごらん彼(彼女)は可哀想だろう」

「あんな可哀想な彼(彼女)にひどい仕打ちをする社会にモノ申す」

みたいな形にしか見えない。*1

 

 

一方で自分の言葉で喋ろうとして立ち上がった「実際に弱い人」には

「お前の言い方が気にくわない」

「可愛げがない」って表現の下手くそさ、そのほかの欠格であげつらって殴るのも世間なんだけども。*2

 

 

人の世はなぜこんなにもブザマなのか。

 

 

どう転んでもおおむね救いがないのが世の中ではあるけど、出来ることなら

自分の言いたいことは自分で言うようにして、

他人の言うこともイラッと来てもとりあえず黙って聞く胆力とか身につけたいよねって思う次第。

声を上げるまで待ってたら救われない人ってのもまず間違いなく居るとは思うけど、その代理を買って出て全てを代弁できる自負、声を奪うほどの覚悟は、俺にはないかな。

 

皆もっと自分の言葉で自分の快不快を表明してもいいと思うんだけどね。

んでお互いに「うるせーバカ」って言い合えるようになるといい。*3

 

 

いつものように纏まってないけど、今救われてない人は昔から救われてなかったし、これからも救われないんじゃないのかなあ? ってのが現状の俺の気分。

シロクマ氏もブクマカたちも、言葉使って殴り合えるだけでたぶん、いや間違いなく恵まれてると思いますよ。

 

 

 

*1:粗暴な時代だってそうだ。ロールモデルがかっちりしてる分、そこに違和感を覚える弱者が居たとしても

「その違和感はおかしい」と人格矯正して

「これで彼(彼女)は本心から自分がなりたかった形になれたんだよ」

とかやってただろ。

*2:だからこそ声を上げる弱者には上手いこと表現し、感情を励起できる煽動家・運動家が不可欠となるんだけど。ホモサピ死ねばいいのに。

*3:ネッツの黎明期とかぜんぜん知らんですけどね、そういう自由があったんじゃないの? オーディエンスによりウケる言説の競争とかじゃなくて、互いに「俺の思うところ」を表明しあってたんでは。古参かつネットで名の知れてる人が時々語る「閉塞感」て、この「誰かに見られて、それに合わせた語りが染みついちゃった自分」に対してのものもあるんじゃねえのかな、ってぼんやり思ってる。

探すの疲れた。

大掃除してると、主に本の整理してるとついつい手に取った本を読んじゃうことってあるじゃないですか。

探してたわけじゃないけど読みだすと止まらなくなる奴。

一方で、探してる時には見つからないんですよね。何なんだろうこの現象。

諦めたんで過去のうっすらとした記憶だけで書く。

 

 

なんか似たことを書いてる本があるらしい。読んでないが。

 

 

 

記憶に残ってんのは「減価する貨幣」

これでうまく大恐慌に伴う不況を乗り切った村があるんだよ、みたいなの。

思想そのものは知らん、というか忘れた。

今現在もその「減価する貨幣」を地域通貨として流通させてる自治体がドイツ他数か国にあるらしい。

 

これ思い出したのはコロナ騒動で「カネ配ったら貯めるじゃん」って言われてるのと、とにかく経済回さなきゃ始まらないだろ、って言われてるので気になったから。

 

地域通貨で国の仕組みとしてふさわしいのかどうか知らんけどさ。

持ってるだけでどんどん価値が減っていくものなら、価値ある何かに早めに変えたい≒買ったり売ったりして経済回したい、って動機に直結するっていう仕組み、と読んだ。

富豪が溜め込もうにも溜め込めないから格差の平準化にもつながるよ、みたいなことも書かれてたような気がするけどこの辺は曖昧にしか覚えてないので自信がない。

 

さておき。

現今の騒動はまあ長期化がほぼ確定した中で、とりあえず生き延びさせることを狙うのならこの仕組みっていいのではないのかなあ、ってぼんやりと思い浮かんだのです。

富の蓄積ってのにはクソ向かないけど、カネがくるくる回るのには適してるんじゃないの、って。

昔のやり方は紙幣にシール貼って価値が減っていくのをカウントするみたいなめんどくさいやり方だったようだけど、電子マネーにして期日ごとに残高を削るとかすれば仕組みも簡単でやりやすいんじゃねえかな、とか。

あくまで素人考え。

これ導入できるのにかかるコストとか時間とかはほとんど考えてない。

けど「ただ持ってる、溜め込んでる」ということがお得にはならないってことを身体的に実感させるには、こういう分かりやすい仕組みにまで落とし込まないと、消費しよう経済回そうっていう気分にはならないんじゃないのかな、って思った。

騒動が終わったとして、そのあとすぐに経済がグルグル回るにはよほど人心を焚き付けないとしょうがないんじゃないか、その時に日本銀行券をバンバンばら撒いたところで額が大きかったとしても、ひょっとすると効果薄いんじゃないか、と。

 

 

より詳しいことはこの本に書いてあるらしいが、読みこなせるわけもなく。

誰か識者の見解を待ちたいところ。 

自由地と自由貨幣による自然的経済秩序

自由地と自由貨幣による自然的経済秩序