「話す時はオチをつけろ」とはTVでよく言われる関西人の生態のひとつ。
ホントにそんなこと言う関西人に出会ったことはないが。
これは吾の交友関係の狭さゆえのことかもしれぬので、大声で否定したりはしない。とはいえそんな毎回話にオチをつけないといけないと考えながら駄弁るのはしんどくないのかしら、という杞憂はある。
そこから連想したのが起承転結とか序破急。
これ考えるのはとても面倒くさい。
いったんオチを決めから書き始める、というのは例の文章テキストにも載っているのでやってみるのだけど、書いてるうちにコロコロと変わっていく。
サンバイザーおばさんの時の過去記事なんかがそうだ。
これはテキストに従って頑張ってみたつもりだったのだが、
「サンバイザーで狭い道をぶっ飛ばすオバサンは怖い」
という結論に至るまでにふらついて、全体として散漫な感じになってる。
いま読み返してみると。
てか、最後の最後で
「サンバイザーの大きさと温暖化の相関関係」
なんて書いてて、これがオチかな? って誤解する。自分で書いてるのに。
こうなった理由はハッキリしている。
書いたのが二日前だから、思い当たるところはあるのだ。
つまるところ、書いたネタを消すのが惜しい、これに尽きます。
暑さのくだりとかイラネエし。
・・・温暖化と絡んだ最後の段はもっとイラネエし。
オバちゃんとどう事故りかけたのか、それをしっかり書こうよ!
危うく避けたけどすれ違ったあと後ろのほうで橋の欄干をパンパン叩く音が聞こえてああこれはきっとイラついてますねオバちゃんと思ったとか
あきらめてお互い止まったけど、タイヤの向き替えたらどっちもまたコリジョンなコースに乗ってていっしゅん気まずい感じだったとか
そういうのあるでしょう自分。
そういう具体的な話を書かずに、
「サンバイザーで接近してくるオバサンがちょっと見た目が怖い」
ってことに注力しすぎ。
それでいてくっつけた余計なネタは
「せっかく書いたんだしもったいない」
って残してしまうから、散漫になってしまう。
書かなきゃいけないことを書かず、書かなくていいことを書く。
バランスが悪いよ、バランスが。
こんご気をつけたい。
そうしたミスを棚に上げて今回感じたのは、継続することで復習効果はたしかに上がっているということ。
冒頭の話のマクラはまだまだとっ散らかってるけど、「これじゃダメだな」って自覚できるようになったのは大きな進歩だと思う。
パッと目をひきつける出だし
スラッとすんなり進む本題
ピタッと決まる結論
そういうメリハリのある文章を目指します。
まずは書くべきことを書き、削るべきを削る練習だな。
削るのが一番しんどそう。