そのままアウトプットの劣化に繋がるということを心から痛感する。
結局いたちごっこなんやろうなぁと。
頭の中でか内心でか、どちらにせよ入力した情報なり感覚なりを再構成しないかぎり、出力できるものなんてないわけで。
なら入力増やせばええやんけ、と思ってたけども
底の浅さを補うべくせっせと入力を増やしても、頭の中の処理が追いつかずに再構成できなかったらけっきょく出力って増えないんだよなってのも痛感したのが今週でした。
入力と出力を並行するようにすれば少しはこの辺の能力も鍛えられるのかしらん?
ぼんやりテレビとかみてるとコメンテーターとか評論家とかの人たちは
聞かれたこと聞いたことをすぐに発信できるからすごいなぁと思ったりする。
時事問題で長文解説書いてるサイトとかブログとかもそう。
こっちはせいぜい頑張っても1000字なるかならないかレベルなのに。
ああいう風にインプットからいろいろ膨らませることが出来る能力があれば見栄えのいい書類を調えることが出来るのだろうなと憧れはするものの
「小論文の書き方」とか初歩のテキストを弄ってる段階ではまだまだ届かないんやな。
、でなんとなく分かったことやけど
疑問に思ったことをとことん詰めるとかしていろいろ情報をせっせと集めないと、ただ漫然と集めるだけでは頭の中に定着しないということ。
一つ疑問を軸に情報を集めていけば、一定の思考の流れが出来上がるから、それに沿って出力すればええんや、とそういうことらしい。
人の話、人のテキストを読んで「ほーん」って思ってるだけじゃダメでそこから「自分はどう解釈する?」ってのを常に意識しておくことが、構成力を鍛える肝なんや、と理解しました。
どうやらけっきょく好奇心が旺盛な奴がぐんぐん伸びるっていう話に繋がるっぽい。
事象に接した時に「何で?」「どうして?」っていう気持ちがないとダメみたいだから、その辺が淡白な自分はけっこうハンデがあるな、と思った次第です。
卑近な例で、プロやきうで広島東洋がバッファローポンタにいま負けてるけど、この試合から得るもの自体が好奇心が旺盛な人と自分では違うんだろう。
流し見しててやっぱルナの守備はファンタジーやなぁとか、クラーク黒田から再来日初ヒットHRかよとか、一岡のカピバラさがちょっと薄れてるように見えるとかそういう単純な感想ではなくて
全配球を追って試合の転轍点なども意識しながら見てる人では出てくる感想が違うのは当然のこと。
こういう最初に情報を受け止める姿勢の違いでそもそも入力量に大差が出る上に、入力と出力の間に軸がある人と、漫然と入力して、整理のつかないまま出力する自分との差が広がるのは当たり前すぎるということ。
この辺をきちんと踏まえてじわじわ頑張るしかないんやな。
(追記:
こういうのも「お、やるやんけ」って思うだけのと、きちんと見てる人との受け止め方の差は大きいんだろう。
好奇心の大きさは感動の大きさに正比例するもんなのかなとぼんやり思ったり。