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テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

騙しあい八紘。

 

飛行機の戦争 1914-1945 総力戦体制への道 (講談社現代新書)

飛行機の戦争 1914-1945 総力戦体制への道 (講談社現代新書)

 

 

日本軍ってしょっちゅう精神主義だなんだって言われるけどそうでもないよね、っていうのを戦前戦中のプロパガンダから検証した本。

割と面白い。

言うほど精神主義じゃなかったぞ、ってのはまあ最近のこの手の歴史本だと定番だけど、時代を下るにつれてトーンが変わってきているのをうまく拾い上げてると思う。

そこで、資料の拾い方が恣意的という見方をする人もいるかもしれん。

そこはそれ。見方の違いということで。

 

戦前から精神力を恃みとする傾向はまったく微塵も揺るがないんだけど、

戦前は「まずは戦力の近代化の土壌があってその上で精神力」という雰囲気だったのに

戦争がはじまると

「ぶっちゃけ近代化とかそういうのは敵わないし、目を背けます」

「とにかく精神力、精神力で勝つ!!!」

っていう破れかぶれコースに転落していくのがよく見える。

 

そういう時系列でみたプロパガンダの色合いの変遷も面白いんだけど、この本の白眉は結論部分じゃないかな。

いわく

「WW1以後、陸海軍ともに航空戦力の重要性を喧伝し、また国民の中にもハッキリくっきりバッチリ「航空主兵」の思想が浸透していたにも拘らず、なぜ敗戦後は

「陸軍が精神バカ」「海軍は大艦巨砲主義の頑迷固陋」

っていう評価がまかり通るようになったのか?」

っていう疑問の回答部分。

さらっと書いてるけど、けっこうキツい結論です。

 

敗戦後、なぜ航空主兵を自分たち(国民)も了解していたことを否認するに至ったか。

それは航空戦力の充実という軍官民挙げての運動に、自分たちが主体的に参加していたことを認めたくないという意識の表れではないか、というんですね。

 

いわば、責任からの逃避やね。

陸軍が航空戦力の充実を叫び、自分たちも勤労動員に疑問を持つことなく参加。

海軍が渡洋爆撃の重要性を叫び、少国民もこぞって航空兵募集に殺到。

こういう国民的な動員がすんなり行われたのはWW1以後、陸海軍が特に関東大震災を引き合いに出して空襲の恐怖を煽り、それを国民も信じ、怖れることで、その災厄から逃れるには航空戦力の充実が不可欠、空軍こそ近代戦の主力と刷り込まれていたからこそ、可能になったのだ。

総力戦への国民動員以前に、国民の「空軍こそ主力」という精神の動員は完了していたからこそ、総力戦体制への移行はスムーズに展開したのだ・・・という現実を無視して

海軍は大艦巨砲主義固執した古臭い戦争で負けました、陸軍も時代遅れという意味では略同、というフィクションに逃げ込んだのは

・自らも「航空機生産」という銃後で主体的に戦争に参加したこと

・その戦争でものの見事にボロ負けたこと

を認めるのが辛すぎたためではないか、ってのが本書の結論。

 

なるほどなぁ、と思いましたね。

海軍が大艦巨砲主義に染まりきってたって言うのなら、そりゃ戦中派の人は

「俺は戦争の時に造船所で働いたぜ」

って人の方がメジャーなはずなのに、話を聞くのはもっぱら

「飛行機工場に動員された」

という話ばかり。

そういった動員をされ、黙々と(飛行機生産の重要性を疑問視せずに)勤労に明け暮れていたにも拘らず、戦争が終わってみれば

「いや、あの戦争は海軍が(陸軍が)古臭い戦法にこだわって負けた戦争なのだ」

ってフィクションにすんなり逃げ込む。

早いところでは戦後数日で、「陸海軍は航空を蔑ろにしてたから負けた」

という論説が登場している例が本書では提示されてますけど、

死力を尽くし、最善の道と信じてきたやり方で、完膚なきまでに叩きのめされた

という現実は、正面から受け止めるにはあまりにも辛すぎることだったのでしょう。

敗戦直後、そんな辛いことを生身で受け止めることなど出来なかったから

「あの戦争は、「陸海軍」が勝手に負けたのだ」と記憶を書き換えて

「国民の上から下まで総動員されてそれでもなお負けた」という事実から目を背けたのでしょう。

戦中に航空主兵をはっきりと言明していた著名人ですら、戦後は

「陸海軍ともに古臭い。近代戦を戦える組織ではなかった」

と糾弾しているくらいですから、自分で自分を騙さないかぎり耐えきれなかったのかも。

 

そうして敗北から目をそらすため、負けた自分をだますためにあえて構築されてきたフィクショナルな「古臭い陸海軍」という伝説がようやく薄れてきたのが、ここ最近。

 

陸海軍ともに、それぞれの組織なりの合理性をもって世界列強の兵法の動向をキャッチアップし、それを追求し続けていた。

陸海軍はそうした兵法・戦術・兵器の近代化の必要性を機会あるごとに国民に啓蒙し、軍事リテラシーを高めるための宣伝に力を注ぎ、それに成功してきた。

そうした戦前戦中の軍民官共同の「近代化」の歩みをすべて「なかったこと」にして

「あの戦争で負けたのは陸海軍」と矮小化することで自分たちが「敗戦の当事者」であることから目を背け、衝撃を和らげながら生きてきた日本の国民たち。

 

70年以上の時間を経て、ようやく日本人は、本当の意味で「敗けた」ことを受け入れられるようになりつつあるのかもしれませんね。