読み終わる前にあとがき読むのダメ、絶対。
吾は悪癖がある。
読むのがだれてくるとオチ読んで解説やあとがき読んで、ハイハイそういうことね、ポイ、ってする癖だ。
今回も途中そうなりかけたけど、読み終わった今、先にあとがきを読まなくて良かったとしみじみ思う。
人類滅亡前夜、というかもうだいたい滅んだけどぽつぽつ残ってるよ、という世界で南を目指す親子の話。
こういうのいっぱい好き。人類滅んでナンボ。
起伏が少ないのがいい。
滅亡モノって喜怒哀楽烈しいイメージあったけど、これは淡々としてる。
悟ったとかではなく、摩滅して感情が鈍ってる感じがしてとてもいい。
目に映る風景も鈍いし、どこまで行っても陰鬱で太陽もショボい。
こんな環境で滅滅たる気鬱を患わない人間はいないよな、と思う。
惰性でただひたすら南を目指してるのを描いてるんだけども、この小説、章立てとかなくて、その時その時の行動をぶつ切りにした文章を重ねていく。かなり変わってます。
一文一文は短いので、キリのいいところで読むの切り上げる、というのもやりやすいはずなんだけど、なぜか先へ先へ読んじゃう。不思議。
淡々としてるのになんか引き込まれる。
親子の会話もなんだか淡白で、感情がほとんど動いてないような印象。
息子の方はそれでもまだ恐怖を感じたりしたのをストレートに出している方なんだけど、父親は抑制しすぎてるような、定型の返答をしているだけのような素っ気なさがある。
会話だけ読んでると、父親の方は息子を気遣ってるんだけど、どこか距離があるように思われるんですが、父親の視点としては息子の方が離れていっている、という風に感じてるというのがちょっと腑に落ちない。
そういう言い方してればそりゃ離れるやん、って思うような会話もちらほらある。
父親は息子を愛してないわけじゃないんだけど、うーん。
もどかしい。
もどかしいけどそのもどかしさも淡白な感じで、気を付けておかないと読み飛ばしてしまいそうになるくらい。
父親が息子を呶鳴ったの、たったの1シーンですからね。
他にも感情が激してもおかしくないようなシーンけっこうあるんだけど、そういう時も父親は「やれやれだぜ」みたいな、なんか諦めた雰囲気を漂わせた反応が多くて、それが息子との距離を広げてる感じがしました。
感情をいちいち動かしてたら、生き延びるための旅の歩みが鈍るってのは分かるんだけども、息子がヘマしたときにはもっと怒って、望外の幸運に恵まれたときにはもっと喜んで、素直な感情表現をした方が、子供としても安心できるんではないかしらん?
くたびれ果てた大人との距離をどうすればいいのか、子供には分かるわけないよなぁ、と思いながら読んでいたのですが。
「訳者あとがき」ではスッキリ説明されてた。
ああなるほど、って思ったけど、これ先に読んどかないで本当によかったとも思った。
本作の内容が簡潔に説明されてて「多分そうでしょうね」って同意はするけど、それだけじゃない、ちょっと吾には表現しきれない読後感があった。なんか違うんだ。
独特の文体のもたらす効果なんだろうか? 良く分からないけど、あとがきに書かれてるとおりだろうけども、しかしそれだけじゃないよ、って思う。
この解説じみたあとがきを読んでから本文読みはじめてたら、この見方に引っ張られて違和感は無視してしまって、なんとも言えない、けど不快ではないこの感触が残ることはなかったんではないだろうか?
この感覚が残っただけでも、「あとがき先に読まなくてよかった」ってつくづく思う。
興味のある方は、是非、あとがきを読まずに読んでください。