薮田マジ吃驚。
それはそれとして、大きな話が好きである。
妥当性は措いといて、「ふむふむ」ってなる奴。
著者の言ってる経済の流れが妥当かどうかは知らん。
ただそれで言うと割と筋が通ってそうだな・・・という感触はある。
本人も「異端」と認めてるくらいだし、もっとちゃんと勉強すればいっぱい粗が見えてくるんだろうけどね。
とはいえ、実業の投資効率が劣化してるけど、配当は維持しないと経営権を剥奪されちゃうので、配当に回す利益を捻出するために経費≒人件費を削るよ、という話はなるほど、と思う。
実業の投資効率については「利子率革命」というカラクリで、ちょっとやそっとの経営努力ぐらいでは好転させるのは正直無理だよ、って説明されてる。投資効率に優れた周縁部を喪失した以上は、国内の周縁部(中間層以下の国民層)を収奪することによってしか利益を上げられないよね、って。
アメリカンの場合はサブプライムがそれで、日本の場合は非正規の拡大がそれにあたるってさ。
・・・で、そこまでやっても削れる人件費には限界があるわけで。労働者が本格的に食えなくなったらそこが削れる最低線なので、そこまで行ったら資本主義は終焉なんじゃないですかね、というのが基本線。
ここまではまだ何とか理解した。理解できた・・・と思う?
自信ないけどまあざっくり「成長が鈍ってきたから皺寄せが下っ端に行ってる」くらいの感覚で受け止めておく。
問題は2冊目の結論部。
資本主義は永久に続く拡大再生産(≒成長)ってフィクションで膨張してる
↓
膨張する一方のマネーを有限の世界では処理しきれない
↓
いっぽう、美術品も値段はあってないようなもの、その価値は虚構である。
↓
いいこと思いついた、膨張するマネー、おまえら美術品に向かえ。
↓
リアル社会は定常状態へと移行する。そこで利潤を上げて収奪するというのはナシで。
・・・というような感じで理解したんだが、合ってただろうか?
ドルが金との兌換を止めた段階でマネーの膨張を抑えるブレーキが無くなって、さまよう奔流に有限の実体経済が振り回されまくってるのが現状だよ、というのに対策するためには、同じく無限の値付けの幅の広がりのある美術品で吸収すればいいじゃないという話。
話としては平易なんだけど、「ホントにこの読みでいいのか?」ってちょっと不安になる。大きな話は好きだけど、ちょっと途方もない気がする。
1000兆ドルを超えるマネーさんを美術が吸収する。
想像もつかない。
けどこのマネーが実体に流れる様子も想像できない。
話の正誤の判断以前に、その状況を想像するのすら一苦労。
ただ、自分で自分の足を食うタコみたいな断末魔の経済体制よりも、美術品のお値段が青天井、の方が社会の下の方をうろちょろしてる身には優しみがあるかな、と高プロのあれこれを見ながら思いました。
投資効率の劣化する中で、経営改善を目指すならコストカットしかないのは分かるんだけど、ちょっとばかし露骨で性急で杜撰すぎないかな、と感じています。