どこにも行ってない。
殺しただけ。
文章がけっこう微妙。
章立てが微妙・・・なのかな?
最終章の終りの文がすごく断ち切った感じがする。
章だけでみればたしかにそれでまとまっているんだが、そのあと本全体の著者の言いたいこと・結論みたいなのが出てないのですごくモヤモヤする。
後書きでつらつら書かれてもね。
とはいえ、とても面白かったのでメモ。
第1章 軍用犬の話。
軍用犬の任務そのものよりも、その軍用犬をどうやって調達するか、の組織の駆け引きが面白い。
満鉄が軍用犬を有効利用していたのに触発されて、陸軍も軍用犬を持とう! ってなったんだけどあいにく陸軍にはそのノウハウがない。
当時、軍用犬に最適なのはジャーマンシェパードだと考えられていたのだけど、その調教とか繁殖に関するいちばんの知見を有していたのが、「日本シェパード倶楽部」(NSC)。
陸軍は、ここのの庇を借りて母屋を乗っ取る工作をNSCの少数の幹部とともに画策して、権力に目の眩んだ幹部の手引きもあって見事乗っ取り成功。
帝国軍用犬協会(KV)を創設して、さあ軍用犬をバンバン育成しよう、と思ったんだけど一般会員がこぞってこのKVから抜ける。育成ノウハウの奪取に失敗してる。
潰したはずのNSCを母体とした日本シェパード犬研究会(NSK)が成立。
残されたノウハウがほとんどないKVは、元NSC会員や他の畜犬業者の協力を得て、なんとか前線部隊の要求する数の軍用犬を供給したけど、現地の指揮官から
「シェパード、何処にいるの?」
と言われる程度の貧相な犬しか集められないという大失態をしでかす。
KVのメンツ丸つぶれで地力の育成にもめちゃくちゃ力を入れるんだけど、一方で元NSC,NSKの協力を得ない事にはどうにも軍用犬の供給は無理、ということも認めざるを得ないところ。世相もあって高圧的に協力という名の強制を強いたんだけど、今度は
NSK側も黙っちゃいない。
かつては好き放題にやられて組織の主導権を軍に分捕られたのを教訓に、軍の手の出せない元宮様を組織のトップに据えた新団体、日本シェパード協会(JSV)を設立して、軍の影響力を極力排除する。
戦局が敗勢に向かう中で、軍のJSVに対する支配を強化しようとする圧力は高まる一方だったんだけど、元宮様を長に頂いた効果もあって、JSVは最後まで組織を存続することができた・・・と。
ノウハウがないから盗んじまえ、という軍と
軍用犬ファーストで愛犬を使い潰す気マンマンの軍に抵抗する愛犬家の構図がいい。
軍の方は世論操作の道具が幾らもあるし、少数の幹部をポストを餌に釣れば安直に組織の乗っ取りができると考えていたし、それに成功もしたんだけど、性急な組織の軍部支配を目論んだ(元NSCの理事を一人もKV幹部に登用しない)せいもあって、現場の離反を招いちゃう。
これで手に入れるはずだったシェパードの繁殖・育成・調教に関するノウハウや犬籍登録簿・血統書などのデータの奪取は失敗しちゃった。
昔の人も唯唯諾諾と軍部に従うだけの人間ばかりじゃなかったのだなぁ、ってちょっとほっこりしました。
餌に食いつく人も居るけど、そうじゃない人も居る、というのがいい。
んで、ただ背を向けるのではなくて、自分たちの組織の独立を確保したうえでの軍への協力はJSVになってからは継続しているのも、いいと思う。
NSCもKV創設前はそこまで軍に嫌悪感を持っていたわけじゃない。KV発足後も理事は横滑りで対等に合併して新組織ができるのであろう(ならいっか)、という見通しを持っていた。
ところが、軍はそれをせず、シェパードの繁殖ノウハウなどの実利だけをNSCから吸い上げ、NSCの独立性を微塵も尊重しようとしなかった。
この鈍感さが初期の軍用犬供給の惨憺たる結果を産んだのだと思うと、傲慢過ぎる姿勢では仕事は上手くいかないなあ、としみじみしてしまう。
それだけではない。
軍はどうも想像以上に頓珍漢な組織だったようで、その後JSVも加えつつ、KV自身もシェパード犬の繁殖・育成・調教の施設を開設して鋭意軍用犬の供給体制の確立に励むんだけど
「軍用犬を実際の戦闘・軍隊においてどう活用するか」
の目論見がまったく不透明だったんですね。
まあこれはしゃーない。
軍用犬の利用について意識が盛り上がったのは満州事変での軍用犬の利用が誇張・粉飾されて伝わって(あるいは、軍自身が誇張して喧伝して)
「忠君愛国の超兵器・軍用犬」
みたいなイメージを先行させたのが悪い。
軍用犬そのものを運用したことのない現場の部隊は
これから配備される軍用犬は愛国講談モノに登場した積極果敢に砲煙弾雨を物ともせず突撃する超・優秀犬、というイメージで凝り固まっていた。
一方でKVの軍用犬調教は基本的な動作を修得させたうえで、さらなる専門技能(捜索・警戒・襲撃・斥候など)は前線の部隊で再調教・訓練することを想定していた。
まあ現地部隊にはそんな技能を有した専門兵はいないんですけどね。
この辺の認識のズレ、なぜ直さなかったのか不思議だがそこまで突っ込んでないのが残念。
普通に考えておかしい。
送り出し側は最低限の機能を持たせた上で、残りの機能は現地でカスタマイズするものとして供給している。
受け取り側は、受領したその段階でその犬は部隊の要求する機能を十全に達成する能力を持っていると想定している。
このズレを直さなかったおかげで(運よく軍用犬の再調教・訓練を施せた少数を覗いて)、多くの部隊では軍用犬の能力に不満がもたれ、その有効活用ができないまま、送り込まれた犬はただのペットになり果ててしまっている。
・・・何のために国費を投じたの・・・?
すごくバカバカしい徒労。
一連の経緯、
満州事変で軍用犬がなんかすげー活躍したみたいだぞ!
っていう宣伝で自家中毒起こして
「よっしゃ軍用犬をたくさん配備や!」
ってイキリ返ったはいいけどその供給能力を自前で整備することはままならず、
対立と混乱、衝突を経てなんとか紆余曲折ののち供給体制を確立するも、
それを前線で有効な戦力として運用する体制は整っていない、という泥縄にも程がある展開です。
よくこれで戦争やってたもんだ、ホントに。
無定見でも物事は回るし、その無定見に翻弄される下っ端中の下っ端たる犬ちゃんマジ可哀想。
いっぽうで、有効利用されてる犬の扱いもまー、酷いもので。
戦力にならなくなったら適当にポイ捨て。
これがまたなんというか姑息。
戦地で戦病・戦傷に冒されても適切な手当てもされない。
(この辺は兵隊さんでも大差ない貧相な衛生環境なのである意味しゃーないのか?)
それは措くにしても、いよいよダメになった時に安楽死させるのではなく
僅かな食料をその倒れ込んだ傍において放置して進軍・・・というのがキツい。
筆者はこの点をして
・安楽死させることができない
・少しの食糧を与えることで償いに変える
・自分たちの主体的な行動であるにもかかわらず、第三者的な受け身の描き方をする
日本の問題点だ、という風に指摘してるのだけど、この認識はちょっと納得。
自分たちで戦場に連れてきておいて、いざ死にかけたら自分たちで手を下さずに放置っていうのは卑怯だよな、「飼い主の責任の放棄だよな」と。
南極探検隊の樺太犬放置のアレと絡めて、「犬を飼う、使役する人間の身勝手さ」を指弾しているんだけども、この場合殺してやる方が幸せ、というか
十中八九、死が見えているにも拘らず適当に食事を与えて放置することで「後は生き抜く力に任せよう」みたいにするのがなんか・・・卑怯だよなあ、と。
自分の手で殺すには忍びないというのは分かるし、自分もやりかねないとは思うのだけども、それでもやっぱり、こういう状況下に犬を追い込んだのもまた人間なわけで。そこの始末は人間が人間の手でつけなくっちゃいけないんじゃねえの? って思う。
人間の都合で引きずり回したあげく、最後の最後で自然に委ねちゃうのは、なんか潔くないよな、と思いました。
・・・書いてるうちにとりとめがなくなってきたので、続きはまた次回にでも。