
日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
- 作者: 森山優
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/06/01
- メディア: 単行本
- クリック: 19回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
版元がいま燻ぶってる(ってか派手に炎上してる)ところですね・・・
だからってわけじゃないんだけど、記述の内容がめちゃくちゃ今のこと、より狭くいうと新潮45に端を発する現在の騒動みたいにオーバーラップして見えてしまう。
組織的利害とか。
直接顔を合わせる同士の正面からの衝突を極力回避するとか。
まあ色々と。
書かれていることはホント酷いなぁ、と思わなくもないんだけど、こういうのってすごくよくあることだよな、とも思ってしまう。
開戦に繋がる展開で
「臥薪嘗胆」した場合に来るデメリットを最悪に想定しつつ、
「対米開戦」した場合のメリットを最大限に楽観視するシーンとか。
こういうのって追い詰められた時よくなりますわ。
臥薪嘗胆で「ジリ貧」に陥る過程の中で、少ない資源配分を巡って陸海軍その他省庁で骨肉の争いを繰り広げるわけですよ、ジワジワ減っていく資源を横目でにらみながら。
こういう未来予想図がすかっと描けるのに、それでも「臥薪嘗胆」で国際環境が好転するのを待つよ、と言い得る胆力のある人間がどれだけいることか。
その臥薪嘗胆がいつまで続くことになるのか分からんけど、資源切り詰めて過ごす間、各省庁同士の資源の分捕り合いは凄まじく苛烈になることは容易に想像がつくわけです。
一方で、対米開戦した場合、「2年は」どうにかなる。南方地帯を抑えてそこから資源も得られる。3年めから先は見えないけど。
って言われたら、そっちに飛びつくのは人情として分からんでもないよな、と思うのです。微塵も理性的じゃないけどね。
(その2年の見通しも、都合のいい数字をこねくり回して提出した、ごく最近あった「裁量労働の業種拡大に向けたデータ捏造」とほぼそっくりな構図なのもまた興味深い。)
だって、その対米開戦でイケてる2年の間は、「資源を巡って各省庁と争わなくて済む」んですよ? 今まさに頭を痛めている課題からほんの一瞬だけでも逃避できるわけです。そのあと破局が高い確率で待っているとしても、それは確率が高いだけで、確定した未来じゃないよね、って思いこめば
「俺はこのいまの苦痛が和らぐ、対米開戦の道を選ぶ!」
ってなってもしょうがないのではないか。
「高い確率でろくでもないことになった後」の今の目で見れば、ああバカだなあ、って思うんだけども。
普段から遣り合ってる、顔の見える相手との対決の面倒くささ
よりも
脅威であることはアタマでは分かってる、けどまだ対決してないよく知らん敵
ならば、
よく知らん敵が相手なら、ひょっとしたらワンチャン?
みたいなヌルい妄想に逃げ込みたくなるのも、分からなくもないかな、と思った次第。
まだ遣り合ったことのない敵の強さを、身に染みるほどの痛切さで想像できる人間はエリートでもそんなにいないというお話。
みんな並立で序列がなかったから、同じ立場でお互いの組織的利害が激突しあって「紙の上の戦争」が日中戦争勃発からこっちずっと続いてたんだよね、日本の政軍官。
お互いにお互いのことをよく知ってるからこそ、
「遣り合うとめんどくせえ(潰されるし、潰す)」
となるのが予想できて、その正面切って対峙した場合、を想像する精神的負荷が大きすぎて対決を回避してるうちに
「こいつと遣り合うのは、見知った連中と遣り合うよりはらくかも?」
と対米戦にダラダラ突っ込んでいった過程が見えてつらみ。
んで。
なんで新潮のと似てるな、って思ったかというと。
本を読む前に、ここ読んだ影響が大きいと思う。
縮んでいく出版にとって、今のように(どこまで守ってるのか知らんが)
良心に従って商売を続けること、ってまさに「臥薪嘗胆」だと思ったの。
外部環境の好転の可能性の見えない奴ね。
んで、そういう縮んでいく過程にあって、いろいろ有限の資源の使い道をめぐって新潮の中の人も争ってるだろうなー、って思った。
そしてそういう削れて痩せ細っていくパイの取り分を巡って殴り合うのに疲れてたら
「劇薬だけど、これは確実に売れるぶっとい線があるよ」
「劇薬だから、今後の社のブランドイメージ? とかその辺への影響は分からんけど」
みたいな話があったら、どうだろう? 乗っかってしまうんじゃないだろうか?
- 愛國保守に擦り寄った観念で本を出せば、ひとまず当面の利益は固い。
- 利益が上がるってことは間違いない。
- けど先を考えたとき、新潮のイメージがどうなるかは分からない。
って方向性と
- 今までの出版のポリシーは曲げない。(言うほどあったかはともかく)
- ただそれでは紙の本の利益が上がらない状況は変えられない。
- これからもじりじりと出版事業は縮めていくことになる。
って方向性。
バッティングしたら前者選びたくなるよなー、と。
まだなんか一発大逆転感があるじゃない。
将来のイメージの失墜という割と高い確率でありそうな破局を無視すれば。
新潮内部でも揺れてるみたいだけど、経営側のヌルい声明の発表とかも含めて
文芸部も新潮45編集部も、どちらも正面から対決を回避してる雰囲気を感じる。
この辺、当面の利益は見込める「愛國保守商売」で一息つけるかも、という期待には、ふんわりした合意が形成されてるんじゃないのかなー、とも思ったり。
吾ながらコジツケくさい想像だな、とは思うけど
出版の将来ジリ貧という見えてる地雷を粛々と歩んでいくよりも、
愛國保守で商売するという、ダメージがどれくらいになるのか分からない地雷の方が、まだ踏み抜きやすそうだな、と思いました。
将来の確実な不安に備えるよりも、不安もあるけど利益もある、そんな今に賭けたい。
長期的視野に立ってモノを考えるのは、本当に余裕のある時にだけ可能な仕業なのだな、と思うほかありません。
いったいどうなるんだろうな。
話題になって上々の滑り出しのようだけど踏みぬいた地雷の負の側面が大きくなるのか小さく済むのか。
吾には見当もつかない。