明治の日本人がボコっていたのは、「舞姫」の主人公だけではない。

「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本
- 作者: 山下泰平
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2019/04/26
- メディア: 単行本
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※ダラダラ読んでる。いずれ何か書くかも。
というわけで先日の続き。
第1章の軍用犬の章は、前回の記事の後にも戦後の進駐軍向け需要とかいろいろあったんだけど割愛。
メンバーは代わったけど、「俺が主導権を獲るぜ」という権力抗争がまた繰り返されただけなので。
わかりやすいなホモサピ。
第2章は狂犬病のお話です。
病気自体はどうやら元々あったんだけども、海外交易が自由化されてからググっとその罹患数が増えた
(と言っても、その後の時代のそれに比べたらそこまででもない)
のもあって、お役所は狂犬病対策に乗り出します。
といっても、予防ワクチンがまだない時代ですし、手っ取り早いのは狂犬病に罹ってそうな奴を、捕まえて処分すること。
そのお仕事を管掌することになったのが警察。
警察は請負業者に犬の捕獲・処分を委託するようになります。
その業者の数は時代によって増減するんだけど、やってることはいたって乱暴。
徘徊してる犬を発見したら捕まえる → ボッコボコにする。
基本線はこの路線が一貫してますが、さすがに時代が下るといろいろ変わります。
昼間は女子供が見てるので、天下の往来で撲殺するのは止めるように、ということで
捕獲人の活動時間帯を日出前・日没後に限定してみたり、
※撲殺そのものは制限していない。
使いこなすのに熟練の技が必要であった捕獲用の投げ縄に代わって、素人でも扱いやすい「ガネ」が開発されてみたり。
※むしろ撲殺する効率は上がっている。
手段も乱暴なんですけど、ボコる相手を見定めるのも乱暴。
そもそもこの時代・・・というか戦後もしばらくそうとう後になるまで
「犬は放し飼いするのが当たり前」
というのが常識でした。なので
飼い犬だろうが野良犬だろうがお構いなしに
「噛みつきそうな奴・徘徊してる奴」はガッツリ捕まえてボコります。
飼い主が苦情言ってきても知るか。
そもそもやられたくなければ繋いどけ、というと
「鎖に繋ぐなんて無慈悲すぎる」
という愛犬家のお言葉が飛んでくる。・・・文化が違う。
しかし往来で大人の男が数人がかりで野良っぽいの(飼い犬も混じってる)をボコるのに眉をひそめるのは現代人ばかりでなく、当時の欧米の人もそうだったようで、在留している外国人の皆から政府はいろいろとイチャモンつけられます。
そこで、政府としても対策を取らざるを得ず。
・狂犬病ワクチンの接種の推進
・畜犬税による飼い主の義務の規定の整備
・獣疫予防法による獣疫検査委員の導入と畜犬の取り締まり強化
などをおいおい実施するんですが、これは「飼い主と飼い犬」を縛っただけで、野良犬の方は手付かず。
で、同時期に狂犬病が流行の兆しを見せたので、捕獲業者は増加します。
往来でボコる数は減りましたが、捕獲頭数はグングン増えて、1927-28年にはピークを迎えます。昭和天皇の即位式典に合わせた浄化作戦にともなう広域大規模の一斉捕獲で、めっちゃたくさん獲れました。
いちおう外聞上の都合もあり、捕獲犬の収容施設も設けられましたが、ほぼ「捕まえてきて収容後は放置」というレベルの施設に過ぎず、かなり劣悪な環境で「死ぬのとどっちがマシかな?」という有様でした。狭いし臭いし、共食いするし、後から放り込まれたのに踏みつけられて圧死するし、とかいう状況。
捕まえて命は拾ったこっちもこっちで悲惨ですが、一方、ボコられた方の犬も悲惨。
捕獲業者の請負金は、すごい安くて、日々の労賃としたら微々たるものです。
それを穴埋めするのが、捕獲した犬の死骸は捕獲人に無料で下げ渡される、という措置。
この犬の死骸が、カネになります。
列挙すれば、
犬皮 三味線など、毛皮は人力車に利用
犬肉 肥料にする場合一匹5.6銭
肉にすると 赤犬は1斤15.6銭 それ以外は1斤3銭程度で売れる
(下層民向けのお肉屋さんでは
牛肉に馬肉を1/3混ぜたものが「牛肉」
牛肉に犬肉を1/3混ぜたものが「馬肉」として売られている。)
※ここの記述がやや曖昧で、混ぜる元となる肉が「何の肉であるのか」がちょっとハッキリしない。後に出てくる文章から「牛肉」が主たる肉だろうと判断したけど、間違ってるかも。
以上のとおり、犬にとって戦前の日本は、なかなかの地獄でした。
戦後もそうなんだけど、地獄度が違う。
以前は「狂犬病を撲滅できた清浄国なんだすごいなぁ」って単純に感心してたけど、そこに至るまでに(ワクチンができた後も)死屍累々という感じだったのね・・・
変わり種の対策として「噛みつき防止の箝口具」というのも一時期使われたけど、これも犬が嫌がるし、飼い主も飼い主で無理につけたりせずに顎の下にぶら下げておいて、見咎められたら「昼飯やった後つけなおすの忘れてましたわ(テヘペロ」みたいに言い逃れるので形骸化して終わったというのもあります。
しかし読んでいるかぎり、この辺の飼い主の感覚がよく分からないんですよね。
繋いでないと、往来をうろついてる犬なら、飼い犬野良犬無関係に雑にボコるオッさんたちがいるのに、なぜそれにもかかわらず頑なにつなごうとしないのか?
繋いだら可哀想じゃん、ってのは分からんでもないけど、家の門から一歩外に出たら犬目線で見た時にバーサーカーが徘徊してるわけですよ、表には。
なら繋いでやるのが優しさじゃねえの、って思うのは、今の時代の感覚にどっぷり浸かってるだけなんだろうが・・・しかし腑に落ちない過ぎる。
しかしこうした雑な扱いも、昭和になるとほんのちょびっとだけ変化が見えます。
大量捕獲の後、飼い主の中に「犬は金を出して買うもの」という意識が芽生え始め、
ペット需要の周りに産業が興り、1935年にはこれらの周辺業者にも規制を加えるために畜犬取締規則を改正されます。
その辺うろついてる犬を捕まえるか、適当な子犬をどっかから拾ってきて
「これがうちの犬」
と称して天下の往来を好き勝手うろつかせていた頃の意識からすると、あまりの変貌ぶり。
これに付随して、業界団体からは雑種犬の駆逐・断種・避妊手術を要望する声も上がります。狂犬病の媒介となる野良犬、雑種犬を減らすのは警察としても願ってもないことなのでこれを後押しするものの、手術の未熟な時代、そうした手術を忌避する飼い主多かったし、何より費用負担も大きく、警察の交付金も少額にとどまるため、けっきょく雑種犬の増加防止には失敗しました。
しかしそれでも、少し前の「うろついてたら見つけ次第ボコる(日没後)」という時代に比べるとやや文明の匂いがしてきます。
もっとも、こうした微かな文明の匂いは戦火によって消し飛んでしまいます。
犬猫不要論に見られる世論の高まりもあり、畜犬・愛犬家への風当たりが強くなって
「軍用犬にならない犬なんていらねーじゃん」
という雑な風潮が瞬く間に蔓延し、食糧事情の悪化も含め、畜犬献納運動の圧力が強化されます。
さらにこの風潮に油を注いだのが戦中の狂犬病の流行で、流行源となる犬は全部殺しちゃおう! という熱気はさらに高まり、犬を飼うことの難しい環境が敗戦まで続きます。
この時の畜犬献納運動は「狂犬病の抑止」のためと言いつつ、その裏にはイヌ資源の軍事利用の側面もありました。
犬の毛皮をもって防寒着の足しにしよう、という試みで
「あなたの愛犬も皇国にご奉公するのです!」
みたいに盛んに喧伝されたけど
実際には一番適切な冬毛の時期には殺処分されず、夏毛真っ盛りの季節にぼこぼこ処分されて皮を剥いではみたけどこれ腐っちゃう(夏毛なので防寒用としても効果が薄い)・・・というどこかで見たようなチグハグが展開され、笑えるやら泣けるやら。
前回に続いて悲惨すぎる境遇を送る犬ですが、果たして彼らに明るい未来は訪れるのか?
3章 動物愛護の視点 に続きます。