afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

狗はどこへ行った。その3

間が空いた。

ある意味、今まで以上にしんどい話である。 

 

afurikamaimai.hatenablog.com

 

3章は動物愛護の話。

なんだけど・・・ねぇ。昔に比べるとよくなっている、のは間違いないんだけど、その道筋が辛い。いろいろ感情が混じって冷静でいられなくなる。

 

まずは戦前編。

1902年の動物虐待防止会(のち動物愛護会)がクリスチャンの広井辰太郎を中心に設立されたことが、日本の動物愛護運動の嚆矢とされているけど、これ以前にも個別的な動物の保護活動はあった。

あと行政からも1901年に政府が「動物愛護に関する件」として訓令を出しているけど、ここで政府が保護を掲げたのは牛馬 中でも馬なので、犬にはあまり関係ないのでスルー。

 

動物虐待防止会の活動は、まず往来での犬の撲殺禁止を訴え、次いで1904年からは牛馬給水層の設置という、どちらかというと地味で消極的な活動だった。

これに対して、1914年に成立した日本人道会はアグレッシブ。

太后の知遇の厚い外国夫人が中心になって設立したもの(新渡戸稲造の夫人も参加してる)で、中でもフランセス・バーネットの活躍が大きい。

こちらは犬の収容施設、動物愛護慈悲園の設置に尽力したり、日本で初めて安楽死装置の導入(新渡戸稲造が海外より輸入し預かっていたものを行政に提供)の端緒となるなど、積極的に犬の Quality of life の向上を指向して活動してる。

前回の記事でも書いた犬の抑留場の惨状が日本人道会を突き動かし、愛護慈悲園の設置などの活動に結び付いたんだけど、それに付随して、この惨状を広く啓蒙して意識の向上を図るのには失敗。

抑留上の惨状を広報して意識啓発をおこなおうとしたほぼ同時期に、「忠犬ハチ公」が登場する。

この「忠犬ハチ公」ブーム、当初は

「かわいそうなハチを助けなくては!」ってことで人道会の活動の追い風になるかと思われたけども、当時の世相にあって

「最後まで主人に殉じる忠義を尽くす畜生」ってことでプロパガンダに利用されるようになる。

忠犬ハチ公のブームに乗って人道会は動物愛護を訴えようとしたが、忠犬ハチ公は国民忠孝のプロパガンダへと変質。動物愛護はここから衰退に入る。

人道会が主導していた動物愛護週間の初日が「愛馬デー」となり、陸軍の軍馬・軍用動物顕彰の道具となり、さらに軍は軍馬祭で慰霊祭を起こし、これを全国一斉「愛馬の日」に繋げられた。

さらにこれを「愛馬週間」に拡大するに至り、動物愛護週間はないも同然となる。

犬を筆頭とする「動物を保護し慈しむ」という啓発運動だったはずの動物愛護週間は、国益のために軍役に資する動物(筆頭としてウマ)を動員・顕彰するための愛國キャンペーンの一環に摩り替えられてしまったわけです。

この後、戦中には財政の逼迫から、動物愛護会と日本人道会が協力し、人道会の下に糾合するという動きもあったけれども、その活動は復調することなく、戦後には人道会は1958年の南極置き去り犬の記念像建設運動に日本人道会の基金を全額寄付して終焉を迎える。

動物愛護会の方も略同の経緯をたどり、戦後には団体としては碌に活動も出来ないまま、1958年には活動を終了している。

結局、戦前の日本においては、精力的に活動した団体・個人はいたけれども、犬を愛護するという風潮は根付かずに終わってしまったわけですが・・・戦後もそれは続きます。

 

戦後の動物保護活動の始動は1948年、JSPCA

(日本動物虐待防止協会 のち日本動物愛護協会 現在活動する日本動物愛護協会とは別
の発足に始まります。

 

JSPCA設立のきっかけは病院・研究所における犬の待遇に心を痛めたからで、
実験手術のあとろくに処置されないまま放置される犬、死骸の積み重なった環境で暮らす犬、等々・・・戦前の野犬収容所・抑留場と大差ない環境で暮らしているのを外国夫人が見かけたからで、この団体もまた、海外の夫人の尽力(設立者の中にミセス・マッカーサーの名も見られる)で設立された団体でした。

かつての日本人道会もそうだけど、愛護活動が海外の夫人の手で始動するという流れは変わってないようで、日本人が自然に「犬を大事にしなきゃ」という意識に目覚めることはなかったようです。

それどころか、犬の待遇改善のために、手弁当で世話をはじめる婦人方に不快感を示す、病院・大学関係者の方が多数。

別に婦人方も(当時の常識として)動物実験は必要な犠牲だというのは踏まえたうえで、「そうやって使うのはいいけど、使う実験動物の飼い方がクソすぎるだろ」という考えで活動してたのだけれども、日本人には誤解される。

当時は敗戦直後だしね。敷地内に堂々と出入りする婦人たちを見る視線に拗ねた感情が乗っかってたのかもしれない。

しかし。

このJSPCAの活動目的が理解されるにつれ、大学や研究所の管理者はJSPCAに管理を丸投げしていろいろと注文を付ける始末。これが敗戦後数年の大学病院や研究所の実態。

 

この辺から続く卑屈さ満開のエピソードが読んでて辛かったですね。

使える、と判断したとたん、たかるようになるのは。

しかも、これは敗戦直後の混乱期であって、大学・研究所に予算がない、人手が足りない、つまり例外的な状況である、という言い分は当たらないんです。

このあともずっと、動物管理に関する告発は続いているから。

イギリスで大規模な反日キャンペーンを巻き起こした1969年の「ザ・ピープル」の「日本は犬の地獄」記事は特に大きいけれども、それだけではない。

 

このたかり体質というのは大学・研究所ばかりでなく、自治体も続いていて、JSPCAは動物虐待防止法案を提示してるんだけども、ここで「残酷な殺処分をやめよう」って提言してるのにのっかってたかるんです。

日本では殺処分に硝酸ストリキニーネ(25g900円 2500頭分 一頭36銭)を使ってたんだけど、JSPCAはそれは残酷なのでベントバルビタール(194グラム2134円 200頭分 1頭あたりの処分費が11・59円)使いなよ、って提示したところ「高い」って拒否されたわけです。

日本のイヌ関係の当事者にはまったく、「犬のQuality of life」という視点が欠けているのは、この後のたかりで如実に示されていて

1957年まで殺処分に硝酸ストリキニーネを使い、予算都合がつかなければさらに使い続けるつもりだったんだけど、業を煮やしたJSPCAからベントバルビタールの寄贈を受けたのに味を占めて1958~1969年まで、「全部」JSPCAの寄贈で賄ってました。

予算の都合がつけば、と言いつつ一度寄付してもらったらそれにずっとたかり続けるあたり、じつは予算つけるつもりなかったよね? としか。

1970年から自弁するようになったのは例の反日キャンペーンの影響で、それがなければこの後もたかるつもりマンマンだったのは明白。

経済的な理由は表面にすぎず、じっさいは「たかが犬ごとき」というメンタリティが深く染みついていたことが伺えます。

でなければ、「日本は犬の地獄」の告発記事みたいなイヌ行政が続いてることの説明がつかない。

JSPCAの持ち出し(ベントバルビタールの寄贈)によって殺処分「だけ」例外的に改善されているだけで、全体としての犬の処置に関してはまったく無頓着だったと考えるほうが自然。

この無頓着さについて、本書では日本人の仏教思想がその骨格にある、と指摘している。

慰霊すればいくら殺しても許される、雑な扱いをしてもOK牧場、みたいな考えがあるんじゃね? と。

そう言われれば・・・と思わなくもないが、やや論拠が弱い気がする。

ただ海外の(特にイギリスの)人との犬に対するめちゃくちゃな意識差があったのは事実。

1964東京オリンピックの時にも、昭和天皇即位の際のそれに匹敵する野犬駆除・一斉浄化キャンペーンやってるしね。まったく保護意識が進歩してない好例。

けっきょく反日キャンペーンの効果もあって、1973年、動物の愛護及び管理に関する法律の制定されますが、この法律が従来の動物管理関連の法・政策と異なるのは

過去の政策は「社会に対するモラルの維持」を目指したのに対し、「犬そのものに対するモラル」を規定している点。
狂犬病予防という旗印のもとに犬を処分することが是とされた従前、
犬をそのように扱ってよいのか、という観点から設定された新法、という対照が見られます。

以来「犬のQuality of life」を意識した動物管理が続いて今に至る、わけですが、それはまた別の話。この本では深く取り上げてないです。

 

ただ、最後のオチとして。

なぜ、JSPCAは日本動物愛護協会たりえないのか。

の顛末が、ほんとうに脱力するモノなので紹介して終わりたいと思います。

発足後しばらく、JSPCAは、そのアグレッシブすぎる活動を主導する外国人グループについていけない日本人活動家も出てきます。
外国人グループの持つ政治的・経済的な威力の強さは、1948年に東京都で野犬掃討規則が制定されたものの、その施行を直前に阻止したあたりが特に印象的。

占領期ならではの強引な動きだけど、このような経緯もあり、さらに安楽死に関する双方の意識の対立もあってか、1955年11月、JSPCAは日本人のみの団体として財団法人発足。

この追放で追われた外国人グループは、56年に日本動物福祉協会(JAWS)を設立、会員400のうち90パーセントを外国人が占める組織となり、これが従前の活動を継続する。
殺処分の意見具申とベントバルビタールの寄贈をおこなったのは、実はこのJAWSで、日本人の主導する団体となったJSPCAではない。

穏健で活動の内容が消極的になった日本動物愛護協会はJSPCAから名を引き継ぎ、その動物保護の活動の「実」はJAWSが引き継いだ。名前が同じだが別団体としたのはこれが理由である・・・。

 

最期まで組織内の主導権争いという暗闘を繰り返してます。

「またかよ・・・」と、犬より人間の方に哀れみをおぼえるオチ。

けっきょくのところ、「犬のQuality of life」をきちんと考えてくれたのは徹頭徹尾、外国人であったよ、という。

 

anond.hatelabo.jp

 

増田は犬のことを考えてやれる人のようだが、いったい日本人の意識はどこまで「犬の人生」を思いやれるように変化したのだろうか?

JSPCAとJAWSの顛末を見ていると、深い所ではやはり人間の意識は変われないのではないか・・・? そんなことを思いました。