一週間ほどやってみた。
きっかけはこのブログです。
やりはじめてなるほどと思ったけど、同時に他の見方はどうなんだ?って気になったのでぐぐってみた。
ふむ。
でいちばん腑に落ちたのが、上の記事で紹介されてるこれ。
1つは「書くという行為は、言葉を紡ぎ出すという創造のプロセスと、紡ぎ出した言葉や文を整えるという訂正のプロセスの2つがあり、われわれはこの相反するプロセスを同時進行させながら書き進めている」という点です。そのため「一文書いてはそれを吟味し訂正し、もう一文書いてはまたそれを訂正し」という肯定と否定の分裂的往復運動をわれわれは繰り返しているわけです。これは大袈裟に言えば、一文書くごとに自己肯定と否定を繰り返しているようなもので、無意識的にたいへんな精神的プレッシャーがかかっています。書くことが苦しくなって不思議ではありません。
おお・・・・引用とはこういう風に使うのか。
すごい便利やな。
それはさておき。
赤くした文字列の部分
「一文書くごとに自己肯定と自己否定を繰り返しているようなもの」
ってのはとてもしっくり来ました。
そう言われれば昔からそうだった。
小論文のテストとかでも
書き出してから、~~。
で終わるまではまだいいんだけど、終わったとたん文の先に戻って拙くないかな?って見直してたからいちいち時間がかかってた。
けど破綻させないためには書きながら途中で見直して、全文書いたらまた見直せ、見たいな推敲の繰り返しこそがキモやで、みたいなことを教えられた記憶もある(だいぶうろ覚えだけども)。
推敲というか、文の終わりでいちいち見直すのは自己否定してるようなもんだったのか。アクセルとブレーキを頻繁に、それもやたら短い間隔で踏んでたらそれは疲れますよね・・・。なるほど理に適っている。
一歩歩くたびに
「今の足の出し方は正しかったのか」
「踏み下ろし方に若干の狂いがあったのではないか」
「では冒頭に戻ってやり直そう」
みたいなのをアタマの中で繰り返してるようなものなのだから、これは飽きるし苦痛。
ひとまず突っ走って踏み分けて、その後おもむろに整地するほうがずっといいや、って発想だと理解しました。
創造と訂正の分離。
流れに乗る。
この二つがフリーライティングの大きな柱という事ですが、創造と訂正の分離については一週間やってみた感触として少しだけ分かった気がします。
勢い任せに書くものだから粗はたっぷりあるけど、書いた後のげんなり感はいちいち文章を点検しながら書く、というのよりはずっと薄いですね。
楽しい、とまでは行かないけど、ちょっとスッキリする感じ。
同じ文章量だと普通にやってたら疲労感がたまるけど、それがない。
これを後でみっちり訂正に時間をかけるという技術と組み合わせると、なかなかよろしいアプトプットが出来るというカラクリなんだろうな、と感じました。
まだみっちり訂正するというプロセスは獲得してないけれども。
いずれそっちの方もやってみたいですね。
良さげなら
ノンストップライティング(フリーライティング)で書く
↓
徹底して訂正する
↓
公開する
というプロセスでブログ書いてみるのも面白いかも、と思いました。