今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
ネタに詰まったときには有り難いのが、お題。
ノンストップライティングはじめてから感じているんだけど、あれは「何も考えずにただひたすら書け」ってことで、アタマに思い浮かんだネを片っ端からひねり出す結果、
「ブログで書くことないじゃん」
ってなることがあるみたいです。今日なりました。
特に「今日はこれ書こう」とか思ってない何もない日、にはてきめんに効くみたいで、書き出したネタを拾って、推敲してアップすればいいや、と思って読み返してみると「これブログにするほどのネタじゃないな」って冷静になって丸ごとボツになりました。
創造と訂正のプロセス分離、こんな効果があるとは知らなんだ。
なんということでしょう、創造したものがまるごと全否定されてしまった。
吾ながらビックリ。次はもうちょっと後から読むに耐える何かを書こう。
さておきお題です。
祖父母なぁ・・・思い出がないわけではないのですが、祖父母の思い出よりも、「祖父母の住んでた家」の思い出が強いですね。祖父母のことを思い出すときは、かならず紐ついてる感じ。
母方の祖父は子供の頃に亡くなっていて、祖父の葬式がいちばん古い記憶だったりします。小学校に上がるか上がらないかくらいの頃で、祖父母の実家にみっしり人が集まってたイメージが割とくっきり残ってる。
うちの田舎では神式で、神主さんが家にやってきて棺の前で祝詞あげてそのあと火葬場行って火葬して骨になってから家に戻ってそのまま飯を食う、みたいなのが一連の流れでした。
列席してる人たちを見上げるような感じだったのが特に強く記憶が残っています。
それで思い出したんだけど、祖父母の家、どっちも床が高かったんですよ。
父方の家も、母方の家も、床下に潜り込んで立ち上がれるくらい。
もっとも、床下にいろいろと柱や竹やその他諸々が積み重なってて、そうそう頻繁に潜り込めるわけではなかったけど、たぶん玄関から1mは高くなってたんじゃないかしら。
玄関はいってすぐに家の中に入れるわけじゃなくて、「どっこいしょ」と一呼吸置いてから家に入る。
特に小さいころは上がり框に腰かけてから足を水平くらいに伸ばし、ケツを中心にぐるっと回って上がり込んでたような気がする。足が届かないからね。
他にも古い家はだいたいそんな高い床だったので、昔のシロアリ対策で、通気をよくするとか湿気がこもらないようにする生活の知恵だったんでしょうね。
祖父母の家が印象深いのは、そういう身体的にちょっと日常とは違う形の動作をして入り込んでいた、というのも大きいかもしれません。
高齢者にはかなり厳しい構造の家でしたが、父方の祖父はそうした苦労を抱えるほどの年になる前に亡くなり、祖母も程なくして施設に入居し、その後亡くなったので、その辺の愚痴は聞かれませんでした。
出来れば長生きしてもらって、今度改装してやろう、みたいな話になればよかったんですけどね。
母方の祖母の家は、道路拡張の影響で退去させられることとなり、吾が高校生の頃には取り壊されてしまいました。その頃はまだ毎日のように畑仕事もするくらいぴんぴんしてたので、問題なかったけど、転居した家が(元いた家ほどではないにせよ)それなりに段差のある間取りであるため、体が衰えた今はだいぶ苦労しているみたいです。
バリアフリー改装したほうがよいのか、という話も出るけど、そこまでじゃないよねぇということで、手すりをあちこちに追加するくらいで今はすんでいます。
しかし、昔の人はあんなに高床の家に暮らして、年老いたときにはどのように過ごしていたのかしら?
つらつら考えてたら曾祖父母の家のことも思い出しました。
あそこは床低かった。玄関の上がり框の段差も小さかったような記憶がある。
そういや、うちの実家の地方は、だいぶ年いって隠居する年齢になったら、かつては隠居小屋を建てる風習もあったみたいです。
今時のバリアフリーほどじゃないけど、高齢者の利便性を考慮した住まいがちゃんと考えられてたのだなぁ。
しかし今考えると、年を重ねるごとに生活に合わせた家を普請できた時代は、ちょっと贅沢な気もしますね。