先日こんなブログを書いた。
だいぶウォルマートをDISった。
ちょっと一方的やったね、という事で、孫引きの形になってたので
ウォルマートに関するエピソードのタネ本をちょろちょろ読み始めてる。
- 作者: チャールズ・フィッシュマン,中野雅司,三本木亮
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2007/08/03
- メディア: 単行本
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まだ序盤なんだけど、すでに
「ウォルマートにとって成長したことはかえって不幸だったんじゃないか?」
って気配がぷんぷんする。
一章の「サム・ウォルトンとパワフルで愉快なタフガイたち」のストーリーは贔屓目抜きに心温まる。
ここからハフィーぶっ潰した酷薄な企業へと変貌するとはちょっと信じられないくらいです。商品を安売りしようというその哲学は過激だけども、小売業界に新進として殴りこむベンチャーの頃のガッツとしてはむしろお手本の部類になるようなアクティブな話だと思います。
それがどこで道を踏み外して全米有数のろくでもない労働訴訟を抱えるブラック企業にまで成り果てたのか・・・その辺の解明は本書で進められていくみたいだけど、序盤ですでにちょっと打ちのめされています。
てっきりもっと初っ端からしょうもないクソみたいな企業だと思ってたんですけど、全然そんなことないですよ。サム・ウォルトンのエピソードも含めて、やや贔屓目な描写なのかもしれないけど、サム・ウォルトンの掲げた理想「勤勉・質素倹約・規律・忠誠」は古き良きアメリカの価値観と見事に合致してたし、その理想に心酔した働きづめに働く事のできるタフな幹部連があってこそ、あれだけ大きくなれたんだろうなというのは伝わってきました。
ここまで読んでて
ブラックの話とよく似てるなぁ、と思った次第。
創業者と取り巻きはなんか理念を持ってる
ウォルマートで言えば
「安価で商品を顧客に提供し、そして顧客の生活の質を向上させる」
という使命感。
これを共有している連中の間では、「使命感に殉じるオレサマ」みたいな陶酔もあってか異常な働き方がごくごく当たり前になってるっぽい。
んで、規模がでかくなってもこういう
「使命に、殉じろ」
みたいな規範が、
シャチョーのツラなんざ見たことないんですけお、くらいの認識の末端バイト君などにも通用すると何の留保もナシに思い込んでるのが無意識下のブラック。
表に出てくるブラックの言い訳がキラッキラなワードで埋め尽くされてるけど、これきっと創業当時のちっちゃなインナーサークルでは、当然の空気として蔓延してたから、会社を拡大した事でその空気吸えない人を取り込んでしまったことに無自覚だったんだろうなと。
ウォルマートの変調もまさにそんな感じのプロセスで、どこかで切り替えなきゃいけなかったんだけど、切り替えられないまま(ウォルマートはその事に無自覚のまま!)ここまででかくなってしまった、しかもその規模が半端なくデカいので影響はすさまじいことになっている・・・というのが本書の解き明かそうとしてる「ウォルマート・イフェクト」なんですけど、読んでてそれより気になったのは
いったいどこで、どの規模で、「使命に殉じる」みたいな創業者&取り巻きのストイックで苛烈な労働環境を切り替えて、規模拡大に伴って新たに雇用した人々のワークライフバランスを省みるようにすればいいのか?
ってあたりの疑問が湧いてきて、ちょっと中断中。
目次眺めたかぎり、本書では
「ウォルマートはこのあたりで方針転換をしていれば、ウォルマートの創業幹部連もニコニコ、従業員もニコニコの愉快なカンパニーでいられたよ」
みたいな処方箋を提示するものではないっぽいので、その辺について書かれた本を読んでみたいなと感じています。
ウォルマートのように、掲げた使命は正しく、価値観も尊い出自をもつ企業ですら、ある閾値を越えるとご覧の有様になる、というのを読んで、凡百の元ベンチャーがブラックに容易に転じるのはむしろ正常進化であって、これを上手く切り替えて
経営ニコニコ、従業員も(そこそこ)ニコニコ
ってな状況に軟着陸させられるほうがよほど稀有なんだろうなと思った次第。
ちょっとガッカリ。
もっとバッチリ悪の帝国が出自からしてワルモノだったら、すんなり納得できたのに。
これじゃ救いがないじゃん。