afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

実践睡運瞑菜。

してないけどね。

睡は以前から大丈夫。

運はどうでもいい。

菜? さいきん高いんだよね。

そういった次第で「瞑」をしばらくやってる。

うまく行かないのでむしゃくしゃして手に取った。後悔はしていない。

 

禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

 

 

瞑想=座禅というとっても安直な発想から、なんかヒントあるかなって思って。

それでなくても和尚さんの書いた本って面白いのが多い。

言ってることだいたい同じだけど。読みやすさがいろいろ違う。

和尚さんは話好きで話が上手な人が多いと聞いたけど、そういうのもあってか、法話?とかお経の解説なんかも割と退屈せずに読める。

つか、さいきんの和尚さんはすごいね。

最後まで読んで「ああ面白かった」って奥付の方読んだら

インスタグラムやってるし。これからは禅もインスタ映え大事ってことか。

布教に不熱心だと言われていたころに比べるととっても熱心でよいと思う。

ネッツ利用とはなかなかモダンやな、って思ったけどその昔シャクソン・ファイブってあってなぁ・・・思い出さない方がよかったかも。

良い子はググったらだめだぞ。いっぱい悲しく切なくなるから。

 

閑話休題

瞑想のやり方そのものについてのヒントはありませんでしたが、色々と気づかせてくれます。

印象に残ったのは

「10.よい子の真似をした悪い子の話」

本当の自分はこんなやつなんだよ、っつっても外側に出てくる「じっさいの行動」が全てなんだから、そういうのはあんま気にしなくていいよ、みたいな話。

善行を積んでるフリをしてるけど、内心は下心いっぱいとか、そういうのも割とどうでもよくて、今その瞬間、為していることが善や否や、こそがもっとも大事、という。

逆もまた真。

ふだん善行をどれだけ積んでいたところで、今この瞬間、何らかの悪行を為したならばそれはもう善に非ずという。まさに今が大事みたいな話。

救われもするけど厳しい見方だな、と思いました。

今までの悪行を今まさに改めたらそれでよい、と免罪される感じなのと同時に

今までの善行も今まさにそれを怠ったら意味がない、という厳しさ。

思い立ったら遅いことは、何もない。ただ始めたら一瞬たりとも気を抜けない。

修業とは大変なものだな、と感じたのと同時に

「免罪符」を最初に思い付いたやつ本物のワルだな、って思いました。

善行ポイントを積み上げたら天国行けるよ、っていう甘い罠、裏返せば

「たまに手抜きをしても(悪行しても)ポイントが溜まればいいんだから息抜きしてもいいよ」

って意味。これになびかない人間いるもんかよ。

教会公認で怠惰な人間の本性に寄り添いまくったビジネス思いついたやつマジ悪党。

 

あと紹介されている中で、すごく気に入った童話が一つある。

青空でも公開してるけど

新美南吉 デンデンムシノ カナシミ

 

ひらがな・現代仮名に開いて、こちらに転載してみます。おもに自分用に。

 

 いつぴきの でんでんむしが ありました。
 ある ひ その でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで うつかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには かなしみが いつぱい つまつて いるでは ないか」

 この かなしみは どう したら よいでしょう。
 でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やつて いきました。
「わたしは もう いきて いられません」
と その でんでんむしは おともだちに いいました。
「なんですか」
と おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには かなしみが いつぱい つまつて いるのです」
と はじめの でんでんむしが はなしました。
 すると おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いつぱいです。」

 それじゃ しかたないと おもつて、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
 すると その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも かなしみは いつぱいです」
 そこで、はじめの でんでんむしは また べつの おともだちの ところへ いきました。
 こうして、おともだちを じゆんじゆんに たずねて いきましたが、どの ともだちも おなじ ことを いうので ありました。
 とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。
「かなしみは だれでも もつて いるのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらへて いかなきや ならない」
 そして、この でんでんむしは もう、なげくのを やめたので あります。

 

他者の苦しみ、悲しみに寄り添うことはどういうことか、というテーマの中で取り上げられていた童話ですが、吾は

 

「かなしみは だれでも もつて いるのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきや ならない」

 

のところがとても気に入りました。なんかうまく言えないけど、一番最初に読んだときにでんでんむしの「強さ」みたいなのを強烈に感じましたね。

そういう意図で紹介したわけじゃないんだろうけど、自分も悲しみを抱えていて、ほかの皆も同じように悲しみを抱えている、そこで救いがない、とあきらめるのではなく、「こらえて いかなきや ならない」ってなるのは、凄いな、というか、なぜそう考える、とかいろいろと思いが湧いてきてうまく表現できないんだけど、とにかくなんかカッコいい、と思いました。

 

このでんでんむしのように、吾もなりたい。