afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

閉じ込めたい。

見たくないものとか希望とか。 

 

「死を日常的に見たくない」 余命短い患者の「看取りの家」計画に住民反対 神戸(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

そんだけ死が遠ざけられてきたってことの裏返しでもあるよな、これ。これからも遠ざけたまま生きていけるといいんだろうけど、きっと難しいと思う。

2019/02/22 18:25

 

まあ分かる。

見たくないものは見たくないものね。

んで気になったのが、ニュータウン限界集落化って奴。

ここはまだ60代とか若い人も居らっしゃるようなのでそんな問題でもないのかもしれないけど、この先櫛の歯が欠けるように一人死に二人死に、あるいは介護施設へと転居していって空き家がゴンゴン増えていったときに

「なんであの時、入渠しようとしてた奴ら拒否ってしまったんやぁあ・・・」

ってなったりしないのかな、と疑問に思った。

 

ホスピスや葬祭場・墓場の類いが迷惑施設っていうのは感覚としては納得なんだが、一方で選り好みしていられる状況なのかしらん、と。

 

空家率がすごいことになってるニュータウンの地価と、

迷惑施設を受容してるけど、代わりに人の流動性があるニュータウンの地価

 

どっちがより安く買い叩かれてしまうのだろう?

 

感情の問題はどうしようもないので踏み込まないとして

空家だらけの地価下落と、近隣迷惑施設の地価下落、その二つを比較して純粋に経済効果だけで判断したほうがいいのでは、と感じる。

 

まあそもそも死を遠ざけることが出来ていた時代が異常なんだろうけどね。

労働世帯・現役世帯だけが集住して衰・老・病・死を病院ほかの施設に隔離できてたってのが歪んでるんではと思う。

けど一方で、免疫のないものに耐性を得るには60代は遅すぎる、しんどすぎるだろう。今まで隔離できてた「死」がいきなり自分の傍にやってくるのは話が違う、ってなるのも当然。10年後・・・は早すぎるにしても、20年後の自分をホスピスの利用者たちに重ねて不安がマシマシ、ってことも大いに有り得る。

 

しかし人生の最後を「迷惑」とか言われるのは居たたまれないね。

言い分はとても分かるだけに、責めるに責めきれないし。ほんとうに切ない。

いずれ自分もそうなるんだろうが。人に「迷惑」と言われないような土地で死にたいし、人の死を「迷惑」と思わないような心構えを鍛えるように精進していきたいところ。