あまりに言葉足らずだったと思うので。
社会学者(千田先生)の中では査読はpeer reviewではないらしい - Togetter
単著だして剽窃が強く疑われて版元(勁草書房)が絶版回収された人を思い出す。査読も万能ではないけど「学者である前に運動家であり、自陣に有利な論説を優先」って上野氏の立場表明を聞いてから社会学は警戒対象。
2020/01/09 12:48
前段のネタはこれ。
こういう自浄機能が出版社側に一定程度、担保されているから、社会学系の人のいう
「単著なり出版できるということなりが研究や論説の妥当性を担保している」
っていうのも間違いじゃないんだろうね、査読論文がないからと言って一概にデタラメとは言えないだろうね、ということが言いたかった。
後段についてはこれ。
※元ネタの記事は消えてるが、概略はとぎゃった―に残ってる。
別に悪いことではない。
ただ、これを見るまで自分は「学者は価値中立的なモノ」という思い込みが強すぎたので、これでいろいろと肚落ちした、という次第。
人文系を貶めるわけではない。
理系とやらもやらかしてるよね。
ノバルティスファーマによるディオバン事件。
不利なエビデンスを隠すのではなく、有利なエビデンスをでっちげる、という方向で。
んで、こういうのを「例外的」と見ていたのが従前の俺。
学者がそう言うことをするわけがない、という権威に対するふわっとした根拠のない信頼があった。
しかしながら、学者自身がそれを否定することを言ってくれたおかげで
「別段そういう利益誘導は学者だからと言って忌避するものではない」と啓蒙された次第。
自分が勝手に学者の権威に多くを期待しすぎてただけ。
人文社会系の学問が要警戒対象となったのは、たまたま自分にとって近しい課題領域(労働アレコレとか)にあるのがそれだっただけで。
俺がもし高血圧の持病などを抱えていたら、ディオバン事件をやらかした連中が別に「例外的」ではなく、学者(医者)とはいえ自己利益の追求を当然のようにやるものと考えておいた方が良い、という警戒感を増進させたものと思う。
上野氏とその専門領域に対する忌避感というよりも、
上野氏の属するもっとデカい、学者というポジションに対して、
自分が勝手に抱いていた幻想の誤りを意識するようになったということ。
「偉い人はそう言うことをしない」
という思い込みはかなり強烈で、まだまだ自分を強く縛っている。
「偉くても人は人なんだよ」という大原則を思い出させてくれた点、上野氏には感謝している。
ズルいとか卑怯とかはあんまり思わないんだよね。
たぶん、こういう「自説に有利な部分ばかりをチェリーピッキング」って
多かれ少なかれ皆が手を染めてること。
そこでそれをあけすけに語っちゃうか、というちょっとした驚きはあるけど、よくも騙したな! という感慨は今は湧かない。
当時はびっくりもしたし、反発もしたけど。
ホモサピだし、そんなもんよね、まして闘争をする立場であれば。
って今なら思うし、むしろ自分の戦闘手段の一端を披露するあたりバカ正直なんじゃないの、とすら。
誰も彼も後ろ暗いことを隠しながら、上っ面を語っていて。
そうして語られている上っ面の裏にあることは常に警戒しなくちゃいけないな、と思った次第。
加齢が進んで色んな意味でお医者さんやらなにやらにお世話になることになった時。
それらの人々の権威と対峙することになった時。
上野氏の語った「学者、運動家の有り様」は忘れないようにしたい。
世の中、いい人ばかりじゃないものね。