afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

ホモ・サピエンスと畜生の間で。

補足っつか、感想。

 

b.hatena.ne.jp

 

メモ - 「勝ち組を継がせる」という悲しき渇望

俺もだいたいそう思う。けどはてな筆頭に公立を動物園と呼びそこから我が子を遠ざけよう、私立に入れるよう投資しよう、そのための原資を公に頼ろうという親心(エゴ)までは否定できない。なのでホモサピは滅ぶべき。

2023/02/05 09:33

b.hatena.ne.jp

 

ブコメしたとおり、社会の底上げよりは、その腐った社会から自分の子だけは隔離しておきたいのは人情だよね、と。

んで。

その人情を踏まえたうえで、理性の乗り物たるホモ・サピエンス(≠ホモサピ)の振舞いとしてどうなんだろうね、っていう。

別にさ、人間が性欲食欲睡眠欲の詰まった畜生ションベンクソ袋でぜんぜんかまわないと思うのよ。

それでも世界は回ってきたんだから。

けど、この畜生ションベンクソ袋、その時々ホモ・サピエンスの皮被るんだよな。

この小賢しさが本当にどうにかならんか。

 

b.hatena.ne.jp

b.hatena.ne.jp

ここのブコメでは少数派だったのが可視化されてるいい資料。

 

このtwitter、リプ欄がいい感じ。オレには地獄に見えるけど、当時の「多数派の空気」として。

 

ネットのメインストリーム・twitterの反応見たあとはてブ見ると、やっぱ違うなって。

何人か財務省・厚生省の尻馬に乗ってやいやい言ってたのが居て目立ってたけど、圧倒的に少数派だなって。

ネットでもちゃんと棲み分けできてエラい。

 

b.hatena.ne.jp

 

この辺の経緯見ると「他者削り」を如何にももっともらしく語ってるんだよね。

理性に基づき、所得制限はあるべきだし、高所得者であれば撤廃しても良いと。

にもかかわらず、いざ自分が受益者になるとなったら手のひら返しするの。

ちょっと正確じゃないか、高所得者ではないにせよ、クラスタとして「子育て」と分類される層に対する優遇の一環としてならば大歓迎し、受容するの。

先行する子育てが、非子育て・未子育てからクラスタとして攻撃されてきたその同じ政策をね。

 

一貫して畜生ションベンクソ袋であったのなら、それはもうしょうがないと思う。

エゴイズムとして。生命の本能として。

「ワイは金がほしいんや」も「ワイの子供こそ大事なんや」も絶対に否定できない。

それを否定できるやつはもはや人間ではないだろ。

 

しかしながらここで「他者を叩く」ときにホモ・サピエンスの理性に基づきそれはNG,と言ったのならば、自身が受益者になったときにも同じ「理性」が働くべきではないだろうか。

もとい、働かなくてもよい。

「理性」はやはり「本能」には負けてしまうものだ、という圧倒的な現実を受け入れるだけでも良い。

動物であるという大前提の範囲に理性がおさまっていくだろうから。理性は動物のまま振り回していい棍棒ではないということに気づくだろうから。

 

ところが、それはない。

 

先行子育てを「ポルポト乞食バラマキ」と派手に攻撃し続けた権威と与党の尻馬にのり削り続けてきたのに、自身がその恩恵を受ける現行子育てor将来子育てに回ったとたんに「その政策は、正しい政策です」とのたまう。

ホモ・サピエンスの理性でもって否定した政策を、

畜生ションベンクソ袋たる人間の本能でもって肯定する。

 

そのズレに葛藤がない。

いくばくかの内省もない。

 

惨めすぎないか。さすがに。

判断が切り替わったことに、少しくらい躊躇いがあってもいいんじゃないか?

 

判断のズレと変化、それがなぜ起こったかについて考えてみるくらいはしたほうがいいんじゃないか?

「バラマキ乞食ポルポト」にのっかってきた現行子育てが

うるせぇオレは子育てが忙しくてそんなこと考えてる暇はないんや!

ってのはド正論だけど、それオマエが攻撃してきた先行子育ても抱えてきた苦痛だからな?

他者に共感できない・他者を想像できない畜生ションベンクソ袋がホモ・サピエンスのツラしてたことの免罪にはならんからな?

 

ホモ・サピエンスの上っ面を剥いだ二足歩行の畜生ションベンクソ袋こそがオレとオマエの本性であることを認めて、その限界をキチンと受け入れていくことこそが大事だと思う。

 

ホモ・サピエンスの在るべき姿」にのっかってさ、そこからそうではない今や、そうではない現在地を生きるオレやオマエをボッコボコにしたりされたりするのはいいよ。我慢するよ。それが啓蒙ってやつなんだろ。反吐が出るけど。

けどもそうして他者を殴ってきたじっさいのところ自分が「ホモ・サピエンスの在るべき姿」を具現していないことを指摘されたときに、それをきちんと受け止めるのではなく「畜生ションベンクソ袋の抗いがたい本能」を持ち出して、だってしょうがないじゃない、と言い逃れするのは、さすがにどうか。

 

在るべき姿に届いていないにせよ、ホモサピはそうした本能を克服する方向で知恵を絞ることができる生き物であるからこそ、他の畜生とは違うのだと自認しているのではなかったか。

 

目の前に立ち上がった問題や衝突をやり過ごすときにホモ・サピエンスの行動基準と二足歩行の畜生ションベンクソ袋の本能を都合良く使い分けるしか能がないのなら。

 

ぜひとも、お願いですから。

頼むからホモサピ滅んでくれ。

 

おれはそうした生きる(イキる)ためだけに基準を使い分けることに葛藤のない、本能でも理性でもない鵺のようなバケモンがはびこる世の中は好みではありません。