afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

悪気の有無。

 

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

 

 

借りて読んだ本。

締め切りが明日まで(って言うか今日)なのでやや斜め読み。

元々は「科学におけるウソツキどもの実例」を眺めたいね、似非科学作った当事者達のその後はどうなってんのよ、という気持ちで借りてきた。

というかこんな本がある、と教えてもらうまで

「オオカミ少女、あれウソやで」

ってぜんぜん知らなかったよ。まじかよオオカミ少女。

ものすごい信じてたよ。

本書の中にもあるけど道徳の教科書で読んだ覚えあるし!!

・・・江戸しぐさといい道徳ってろくでもない教科な。

似非科学のゴミ箱かよ。ゴミ箱の中身ぶちまけられる子供の身になって欲しい。

 

さておき内容について。

思ったほど「騙すつもりでウソついた」マンは居なかった。

表題のそれと双子のそれとコーラ刷り込んで売るよのアレは悪意持ちっぽいが、他は単なる勘違いや素人の調査が話が膨らんで神話化、玄人がやったけど思わぬところで試験・実験方法に欠陥ありといった気配。

似非科学にするつもりなんて微塵もないのに誤った理論を打ち立ててしまった人(クレヴァー・ハンスの人とか)などは同情の余地がいっぱいあって、これをサー・シリル・バートあたりと並べるのは可哀想かな、って科学の外野としては感じる。

 

ただこうして誤った理論・不確かな仮説があたかも定説のごとく流布してるのを覆すのは大変な労力であるというのは感じるので、今後もそれっぽい装いで疑いのある話を検証して公開する活動はバンバンやって欲しいので、新エピソードも追加されてるらしい

増補版は買おうと思う。

 

増補 オオカミ少女はいなかった: スキャンダラスな心理学 (ちくま文庫)

増補 オオカミ少女はいなかった: スキャンダラスな心理学 (ちくま文庫)

 

 

 

以下簡単に内容紹介と自分のための備忘録。

 

1章 オオカミ少女はいなかった

ヒトがオオカミに育てられるなんてありえないんだよ、というかエピソードの序盤から設定がグダグダというのを暴く。この程度の強度の話でも、20世紀前半ならガチの話と信じられていた。ただ「なんでか知らんが乳幼児と野生動物が『一緒に居た』」という事例はけっこう報告されてる。それは何故かを問うのは有意義だろう。しかしそこから『野生動物がヒトの乳幼児を育てている」と見做すのはジャンプしすぎである・・・という話。

 

2章 まぼろしのサブリミナル

ヴァカな人間ほど数字に騙される。それっぽい数字を並べて煙に巻けばなんということでしょう、マスコミをも巻き込んであっという間に追試の不可能な規制まで作られてしまいました。効果はないのに!! というか1/3000秒という隙間でコマを割り込ませるのは当時の技術では不可能なのですが、ヴィカリーどうやったの?

なお嘘っぱちのヴィカリーは「コレって効果的な広告技術」と売り込むつもりだったらしいが、「こんなん危険やん」とTVも映画もこぞって自主規制に走ったおかげで商機を逸したと愚痴をこぼすというなかなかの悪っぷり。ウソは大歓迎OKだけど収益が出ないのはNG牧場、って広告屋に対する吾の偏見を強化してくれましたありがとうございます。

 

3章 3色の虹?

言語相対仮説の話。いちばん「なに言ってんだこいつ?」って思ったエピソード。

言葉を介してはじめて知覚は可能になり、明瞭になる、という仮説。

ネットロアの「目の見えないヒトに空の青さを伝える能がないのがオレは辛い」(江頭2:50)ではないが、 の言語しかない文化圏の人に、を説明しようとしたとき、「を混ぜ合わせてちょっとっぽくしたような色」と説明しても、彼らにはまったくその色を想像できないというのが言語相対仮説の導く結論。

「該当する言葉がなければ、当該文化圏に生きる人には、その色を想像する力も存在しない」かなりアクロバティックな暴論である。

この章はこのように冒頭からどうよそれ、と思うのだけど、線遠近法、透視図法を知らない文化・民族は錯覚を起こすはずがないのだ、とかまあ文化的偏見に基づいた学説らしきものを大真面目に開陳してた時代もあったのだな、と感慨深い。

 

4章 バートのデータ捏造事件

イギリス心理学会の会長も勤めた重鎮によるデータ捏造事件。

大御所の間違いは訂正しにくい、という人情味溢れるお話。

あと捏造がばれなければ気分が大きくなって発表内容も過激化するというのを日本のフジムラシンイチ旧石器捏造事件とあわせて紹介してたのが印象的。あれも大御所のお墨付きを得たおかげで初動の疑義が排除されて、どんどん古いのが次々見つかるというインフレ起こして最後自爆してたのを懐かしく思い出す。

東芝の三日後100億チャレンジもこんな感じで、ばれないから振れ幅が酷くなっていったのか知らん? 人間の心理って不思議!

 

双子の研究それ自体はなかなか興味深いのだけど、他にも恣意性が絡む(ただでさえモデルになる対象が少ない、さらに協力者の機嫌を損ねたら研究終了なので、研究者が対象に対してウソかホントか突っ込みにくすぎる)ので難しいね、というのもハードル。

 

5章 なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか。

ソークは悪い奴ではないよ。彼の唱えた心音説は間違いだけども。

けっきょくのところ今でもなぜ左胸に抱くのが多数派か、というのは結論はでてないが利き手・利き足などの利き側の影響があるんではないか(側性化)ってのが今のところ有力っぽい。

ともあれ今まで誰も気づかなかった事に気づいたソークは画期的。ずっと昔から(チンパンジーやゴリラですら!)左胸に抱く個体に偏っていたのに、その事実に最初に気付いたのは彼だったのだから。

 

6章 実験者が結果を作り出す。

一番興味深かった話。

フォン・オステンは教育の威力を信じていた。そこでウマ(動物)も人語を解するんや!!! って実験して見事に成功。ベルリン大の心理学享受・シュトゥンプを中心とする調査委員会の追試もクリアして教育の威力を実証したかに見えたのだが、フングストがブラインド法で追試した結果、ウマ(クレヴァー・ハンス)は

「人間の反応を見て答えを知っていた」

ことが判明。実験者が思わぬ形で答えを対象に教えていて、対象となる動物は鋭く答えを知ってる人間の些細な動きを感知して正答を出す、というカラクリになっていたのだ。コレだけでもなかなかたいしたもんだと思うのだが、教育でウマが人の言葉を介して数字も理解するようになったと思っていたフォン・オステンは失意に沈む。

ニム・チンプスキーなど「チンパンジーに言葉を教える」という試みでも、こうした人間の動きを見て反応していたものを「言葉を解した!」と誤解する時代がしばらく続いたけど、今では「(少ないけど)たしかに言葉を理解してるっぽいぞ」という個体(京大のアイとか。懐かしい)も現れている。

実験手法の洗練によって実証されたこれらの成果はたいしたもんではないか?

という〆には深く同意する次第。

 

7章 プラナリアの学習実験

記憶は継承されるか、をめぐる実験。

マコーネルは学習させたプラナリアを二つに切断、それぞれから再生した二つの固体が切断前の記憶を継承している事を実証して、じゃあ学習したプラナリアを学習してないプラナリアに共食いさせたら、学習したのと同じ効果が出るのか、も検証してみごと成功。

これまでのエピソードと違ってマコーネルの実験の精度は格段に高く、今でもプラナリア学習実験は専門家の標準的な実験として継続されてるくらいというのが特徴。

このためウソ科学度ではだいぶ印象が弱いんだけど、記憶物質=RNAという誤解とか、共食いによる記憶転移があたかもプラナリア以外でも起こるみたいな誤解が生じたのはマコーネルの広報屋としての気質、「共食い」の刺激的な論文タイトルに飛びついて分かりやすく説明を端折ってばら撒いたマスメディアのあわせ技で拙かったね、という話。ユナ・ボマーに狙われた標的の一人というのはビックリ。

 

8章 ワトソンとアルバート坊や

アルバート坊やかわいそう。

ワトソンの不倫もあいまってなかなかセンセーショナルな話だけど

子供の後ろで大きな音を出してびくつかせて恐怖の条件付けをするというのはいくら科学の発展のためとはいえちょっとひく。

あとは教科書っていい加減過ぎるだろ、という批判が展開される。ワトソンの論文そのものを当たれば生じないはずの誤解が増幅されていくプロセス。

分かりやすければ、受け入れやすければ、それでいいんだよ

というおよそ科学的とは言いがたい姿勢は専門領域でも通用しているというのがかなりショック。江戸しぐさのウソしぐさで子供を良導しようと目論むゲスどもと変わらんやんけ。その為さりようは吾の好みではありません。

 

終章 心理学の歴史は短いか

エビングハウス「心理学概説」(1908)の冒頭のことば

心理学の過去は長いが、歴史は短い

というのは心理学成立当時であれば、他の学問の成立に1世代遅れていたのでそういえなくもないが、もはや1世紀半もの歴史を重ねている今でも「歴史は短い」って何の疑義もなく言ってのけるのは怠慢だろ、という話。

なぜそういうもの言いが通用するのかについて、心理学の後ろめたさを指摘している。実際の「目に見えるもの」が対象でないためにどうしても胡散臭さがつきまとってしまうから、それへの言い訳として「歴史が短い」というのを使っているのではないか、と。

しかし1世紀以上の歴史の中で心理学の実験・分析手法も洗練され確立されてきている。取り扱う対象の特殊性ゆえに本質的に付きまとう胡散臭さに安住してウソ科学に付け込まれる脇の甘さを放置するのはNG。

そういう「胡散臭いもの」というレッテルを甘受してるからマスメディアに都合よくつまみ食いされて耳目を集めるバブりワードとして使われちゃうんだぞ、という戒め。

 

ではどうすればよいか。

 

論理的にものを考える以外にない。

心理学が科学として認めてもらうには、とるべき道はそれしかない。

そして原典にあたること。噂に頼らぬこと。疑うこと。

――オオカミ少女はいなかった P.216

 

 

心理学に限らず、万事物事に当たるときには必須であろう心構えだと思った次第。

 

ウソ科学、似非科学は何ゆえウソになるのか。

本書は心理学分野限定ですけど、その発達過程を知りたい人にはおススメです!