メシも食わずに寝ていた。
頭の隅には「ブログ書いてないなー」という意識は残っていたけど、それでも睡魔に勝てなくて一端は床についた。けど気になって目が冴えてけっきょくこうして書いている。
これが惰性の力か。
昨夜は習慣化してもいずれ中断したくなる波がどんどん来るので、継続しやすくなるっていうのはたぶんウソだよ、と書いたけども、何はともあれ続けるという事の力は大きいのかもしれないと今は考え直している。
気になって寝付けやしない。
いったんは「今日はブログやめ」って覚悟したのに、こうして日付変わる前に目が醒めてしまっているというね。気になってるから眠りも浅くて、あんまり疲れも取れてない。何かを続けて習慣化してしまうということは、体に染み付いた癖みたいになって、それを抜くと居心地が悪くなるので、どうしてもやってしまう~、という事なのかも。
あと昨夜は書かなかった、続けて分かった事がもう一つ。
気持ちの浮き沈みはかなりはっきりと文章に出ているというのが自分では分かるようになった。
自分で「やっつけ」で書いたのか、少しは真面目に書いたのかで文章に大きな差があるのが分かる。
人から見ると大差ないよ、どれも駄文だよ、ってなるだろうが、自分で
「このくらいでいいや、時間もないしめんどくさいし」と思って切り上げた文章と
「もうちょっとどうにかならんかなこれ」と多少は推敲してみた文章とでは
出来が違う事が実感として理解できるようになった。
推敲って大事なんだね。
この辺は駄文でも量を重ねて、以前と見比べるということが出来るようになったからわかるようになったことだろう。
もっと早く気付けよ、という話かもしれないが、吾の場合、アタマで理解したつもりになっても、腑に落ちるのには時間がかかるのだ。
今頃になってようやく腑に落ちた。駄文でも推敲したほうが良くなる。
今日は惰性で書いたけど、明日はキチンと推敲して書いてみたい。
推敲する事で文章が良くなる事を実感したので、今度は推敲して書くことを積み重ねて駄文が多少は読める代物になったぞ、という実感を得たい。