実は何が違うのかよくわかってない。
惰性はなんか怠け者っぽいなって思ってるけど。
いったん付いてしまったイキオイ葉なかなか止まらない、ということではどちらも一緒じゃないかなってふんわり理解している。
今日はいよいよブログ書かずに寝るか、と思っていたのだけど
それだとどうも落ち着かない。
いつもの感覚だとこれ風邪ひく直前の兆候だよな、という感じのシグナルが体のあちこちから出ていて、睡眠を最優先した方がいいに決まっているのだが、布団に入ってから「やってなかったなあ」って気になりはじめてけっきょくこうして書いている。
いや、違う。
やってないのは分かってたけど「今日はそれどころじゃないでしょ、やらないの」って決めて布団に入ったはずなのだ。
最初はやらないつもりだったのに、寝付けないからもぞもぞ起きだしてしまったのだ。惰性でだらだら書けるようになったら勝ちだ、と思ってたけど実際その力に屈してみるとあまりよい気分ではない。
今こうして書いているのは「やらないと落ち着かない」というのが第一で、とにかくどうにかして文字数を稼ぐ、体裁を整える、というのがある。
これがいけない。
いや、いけなくはないのか。
何とか習慣化する、という目標を立てた時に「出来不出来は二の次、とにかく続ける」という目標を立てはしたのだから、その意味ではまったく問題ないのだ。
ただ、当初の思惑ではそうやって惰性に流されてひとまずやっつけた後はまた
「キチンと書く」
という状況に放っておいても復帰する、という目算を立てていた、と今となっては思う。
人間は、もとい、俺は易きに流れるものである。
一度やっつけ仕事に手を染めてしまったら、ラクをすることが身に染み付いてしまう。
毎日書く、という負荷をかけていると、楽の仕方を体が覚え始めているのでそっちにどんどん流れていく。
慣れてしまえば文字数だけダラダラ増やす、という自己満足はいくらでもできるということが分かってきて、質を問わなければ書くことはさほど苦痛でもない、ということが分かってきた。
吾ながら、コレがイヤなのだ。
続けることで「質を問わない書き方」だけがモノになってしまいそうで。*1
元々は「テキストうちのリハビリ」であり、少しでも文章を上手くなるため、という目的があったはずで、俺の中ではまだそれは捨てていない。
けどその上手くなるための毎日の鍛錬、のつもりでやっているブログが惰性に流されて
「ただ文字数を稼ぐだけ」になっている現状を考えると、いっぺん見直さないといけないよな、と感じている。
書き続けられているのはいいけど、慣れてきて何がやりたかったのか忘れかけてるので、ゆめゆめ忘れないようにしたい。
体調悪化の入り口でもあるし、ちょうどいい機会だから一日ブログを書くのを止めれば
リセットしてまた「キチンと書く」というやり方に戻れるか、と期待していたのだけど。もくろんでいたよりも書くことの惰性は大きかった模様。
ちょっと切り替えて、続けながらも質を追いかける方向でアレコレ試したいと思います。
*1:自分の性分から、その可能性はかなり高いと思っている。