久々に街の書店を回ってみたらどこも、雑誌文庫とヒットと芸能人本と漫画コミックで、新書ノベルスどこにも置いてないでやんの。まじビックリ。
良くこれで街の書店が大変だと言えたもんだと思ったが、だからこそ滅多に足が向かないんだなと再確認。
徒労に終わって時間が空いたので映画みてきた。
以前予告編見てちょっと気になってた奴。
面白かった。
序盤のR-7の分離シーンがなんかシャキッとしてて、いやオマエはもっとモッサリした分離だろ、って気になったけど、じわじわ盛り上がってくる。
あと、ロシア/ソ連は奇麗な宇宙船似合わないわ。打ち上げ直後でももっと汚れたオンボロ感がないといけないと感じました。地上で横倒しになってるときはめっちゃカラフルでもOKだけど。
しかしわずか半世紀前にはこういう凄いろくでもない日常だったんだな、って思うと人類の進歩、というか変化には恐れ入る。
ボスが
「おめー何してんだ毎日毎日しょっちゅう席外しやがってぶっ飛ばすぞ」
って叱責したらヒロインが
「この職場にはトイレがねーんだよ1km先まで毎日往復してんだよ!!!」
ってブチ切れするシーンが象徴的だけども、それ以前からあらゆるシーンで分離感、はやりの「排除」感が醸し出されててちょっと普通に引く。
「偏見はないのよ分かって頂戴」
「オーケー、てめえがそう思い込んでるのは承知してる」
ってやり取りもなかなか来るものがある。
今の目で見るとドン引きで、おそらくはフィクションだからマイルドにしてるのかどぎつくしてるのかはちょっと分からんが、実話ベースなんだからあった話から大きく外れる事はないんだろうと思うと、ああいう日常がずっと続くと思って暮らしてた人たちのめから見たら今って別世界に見えると思う。
今が理想社会というつもりは微塵もないけど、振り返って見るとちょっとは進んでるもんだね、と(今までが酷すぎたんだろうけどさ)。
てかみんなタフだったな。歴史に名を残す3人だから当たり前なんだろうけども、しょげて諦めるという事がない。かっこよすぎ。
三人三様だったけど、ヒロインのキャサリンよりもドロシー・ヴォーンの方が強く印象に残りました。
三人の中ではいちばん地味っぽい感じなんだけども
「おまえらこれから要らなくなるよ」って脅されたときに、一人だけ助かるんじゃなくて「今の職場の全員生かさなくちゃなんねえ」って考えて行動できるのがステキ。
肩書きは肌の色の壁でまあ・・・って感じだったけど、こういう人間こそ管理職に相応しいよな、って思う。
ただ単に「生かさなくちゃ」じゃなくて、ここで残ることを希望する以上、相応の能力を持っていることを示さなきゃいけないんだぜ、って仲間(部下)を奮い立たせて、コンピューターからプログラマーへの移行を促すあたりが、情実だけじゃない感じですごくいい。
あと、尺の関係からかもしれないけど、IBMが一番肌の色の壁については柔軟だった気がする。企業風土の差なのかしらね。白人の技師が頑張っても起動しないのに、ドロシーがパンチカード食わせて計算出力させたのを思い出して「あいつらに任せればいいじゃん」ってすぐに思いつくあたり、とてもフットワークが軽い。
キャサリンの上司のポールがずっと後まで妨害者として振舞ったのとは好対照でした。
再突入はピンポイント精度、一発勝負にめっちゃ拘ってたけど、それを支えるのはこんな裏話があったんやね・・・ととても感慨深い映画でした。
あ、あとジョン・グレン、イケメンに描かれ過ぎだと思うけどそういう役どころだから仕方ないね。本人もだいたいあんな感じだったみたいだし。
それと、記事タイトルは ここから拝借。
計算機屋ではなく計算手の話だったけどもIBMでてきてちょっと思い出したんやな。