俺専用しおり。
ていうか、過去ログ探したら残ってなかった。
英語民間試験全推しの読売。(跡地)
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20181109-OYT1T50144/
※ブクマで序盤は読める。
上記記事、縮刷版(2018/11/10付)と読み比べてみる。
(前略)
大学入試を変革し、読解に偏りがちな高校の英語教育に改善を促すのがスピーキング導入の狙いだ。
骨抜きにしてはなるまい。
(後略)
全体に英語民間試験推しのトーン。
東大が指針に反したのに対し、国大協指針に準じた京大他を評価するニュアンスが強い。
学校PC導入アンチの読売。
問題は、配備されるPCを使ってどのような授業をするのかが、見えていないことである。1人に1台が本当に必要なのか。
子供の学力に応じて、それぞれのPCに難易度の異なる問題を出せば、個別に最適化された学習ができると、文科省は説明する。仮にそんな授業を行うのなら、教員にかなりの指導力が要る。
英語民間試験推しの社説でも、似たようなトーンの懸念は表明されこそすれ、それは容易に克服可能であるかのように――したがって、各大学は速やかに国大協の指針に沿った導入を進めるように促す方向で――論じている。
結果はご存知の通り。
入試改革の拙速さを懸念して、民間試験導入に懐疑的だった東大が結果的に正解に近いというロックなオチ。
英語民間試験を推す時には
「いろいろ問題もあろう、しかし骨抜きにしてはならない(絶対推進する」
って様々な懸念を蹴っ飛ばしてきた新聞屋が、ひとり1台PCとなったら
「いろいろ問題があり懸念がある。4000億の無駄をどうするのか」
とか言い出すんだから、ポジショントーク極まれり。
懸念がある、というのは双方に言える(言えた)こと。
にも拘らず、一方はそれを押し流してよいと考え、一方はそれを推し止めろという。
その違いはなんだ?
自己利益に近いか否かだけじゃないか。
*1:それでなくても圧倒的な広報宣伝資源を自身の軽減税率の正当化にのみ利用した連中だからそもそも信用できんのに、少しは自重なさいよ。