afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

昼間の続きってわけでもないが。

ブクマつけてから

「そういや斜め読みして放置してた本にもちらっと書いてた気がする」と思い出す。

b.hatena.ne.jp

 

書いてたけどほんとにチラッとだった。

 

 

けっこう面白い。

面白いのだが。

おそらく、本書の本筋でないところでちょっとした閃きがあったので自分用に。

あんまりいい読者の振る舞いじゃないが、引っかかったもんはしょうがないので書き捨てておく。

 

第5章の現代中国における「公」と「私」のところ。

特に「公論としての法」「ルールとしての法」のくだりで、なんとなく腑に落ちた感じがしたのだ。

 

読んだうえで俺なりにすごい雑にまとめる。

雑なので間違っているがこの際それはどうでもよくて、俺が何となくすっきりした、となればそれで充分である。ここは俺の日記帳。

 

支配者の徳を前提とする考え方と

支配被支配どちらも「同じ」である以上、同一ルールに服する、という考え方。

 

現状の日本ってこれがごっちゃになってるから混乱してるんじゃねえのかな、って思いついた。

昔の感覚だと「支配者の徳」というか

「他人の上に立つもの、この程度の水準はクリアしてて当然でしょうよ」

という高い資質を求める空気が非明示的だけど確かにあって、なればこそ非明示的なモラルとかに絡んだネタであっても支配層が失脚してしまったんだろうな、と思う。

たとえ自民党であっても「さすがに踏み外しすぎだろ、(人の上に立つものとして)」という声が支持者からも上がってたから誰とは言わないけど宇野さんとか、今の視点から見ると

「えっそんなことで」

と言えるくらいに些細なことで辞めてたりする。

 

これが「些細なこと」に見えてしまうのは、新自由が流れ込んできて以来

「上に立つ人間だって、唯の人じゃん」

という・・・悪い意味で「同じ」人間であるという感覚が浸透してきたからかな、と思ったんですよ。

誰とは言わないけど安倍さんとか、まあ普通ですよ。

普通っていうか「俺の友達はひいきしちゃうぜ」なんて、就いてる地位を無視すれば気のいいおっさんで済むような話だった。

「その立場でそれじゃ拙いだろ」

っていうのは非明示的なモラルの話。

ピンズドで力関係から言えば…というのはあっても明確にアウト、というのがとても難しい。

法律に明示されてないんだから、それに俺が縛られるのおかしくない?

っていう、下々とまったく同じメンタリティで過ごす感じ。

そしてそれを下々も「そうだそうだ、法律で悪いって言われてないんだからやったっていいだろ!!」

っていう。まあ反論の難しい話。

むしろそれくらい「他人の上に立つ者の徳・モラル」に依拠して組み立てられてた法律が今までよく回ってたね、って。

 

・・・この辺は「明示されてない条件でだれかを縛ることがそんなに拙いことだろうか?」という保守のもう一つの潮流とはバッティングすると思うけど、ここでは措いておく。

 

afurikamaimai.hatenablog.com

 

 

でね。

左派・サヨクはこの「支配者ならば当然持っているべき正しい資質」を前提とした話を組み立てすぎなんじゃないかと。

昔ならそれが通用してたけど

「みんな同じなんだ、モラルのなさ、意識の低さ、そして能力の低さも」

という意識が一般化した以上、

昔みたいな非明示的なモラルに依存した形で権力を縛るやり方はNGで

ルールはルールとしてガッチリ隅々まで事細かに決めておかないとまずい、というのが今。

だけど法律が追い付いてないから、たまたま他人の上に立つ立場にはまり込んだ

意識も能力も低いただの人、が「ただの人」として振舞うサマをまったく制御不能なんじゃないかなぁ、って思いました。

 

 

この点やっぱり保守のほうが「人間が見えてる」と思う。

「人間しょせんそんなもんだろ」という開き直りがある。

だから人間味あふるる安倍ちゃんの振る舞いが好き。

にんげんだもの、それはそうなるよ。身内がかわいいよね」という優しい視線がある。

 

サヨクはまだそこで人間そのものを見てない。理想を押し付けてる。

「総理たる以上、こうでないと困る」

役割に人間を縛り付けている。

常に「そいつは役割にふさわしいか否か」という疑念の目線を送り続けている。

ここが、大衆には気に入らないのだと思う。

 

 

あとね。

ものすごく印象論でしかないんだけど、逆説的に左派よりも保守のほうが

「もうどうやってもどうにもならない」

という将来像をうっすらと共有している気がする。

 

誰がやってもおんなじ、ということ。

 

左派・サヨクも言うし、保守も言うこのお決まりのセリフ。

左派・サヨクはまだ口ではこういうセリフを吐きつつも心のどこかで

「モラル高き指導者が運営すればワンチャン」

みたいな幻想を抱いてるところがないだろうか。

 

保守はその点、安倍を選び支持し続けてきた点で言動一致してると思う。

「誰がやっても一緒だし、だったら別に安倍でいいだろ。安倍いい奴だし」

というのがすごく感じる。

三本の矢が尻すぼみのしょぼすけに終わっても、誰もそこを指弾したりせず(はねっ返りのごく一部の党内反動勢力は喚いていたけど)にスルーしたのは

「安倍にできないし、なら誰にもできない。そもそも誰にもできない」

という諦めの世界観があったからじゃないだろうか。

 

そんなふうに思った。

世の大衆には

誰にやらせても同じなら、自分にとって心地のいいやつに任せたいよね、という人情があって。

たぶん俺の

人の上に立つ者なら相応のモラル求められて当然でしょうよ、という感情も、俺にとっての心地よさを求めてるだけ、だと思う。

 

こういう風に思えるのは、この国のおカネ回りの将来が「もうどうにもならないんだよ」ってうっすら理解していながら、それでも即死するような追い詰められ方をしていない、ある意味平和な証拠なんじゃないかなって感じる。

 

 

本気で死にかけてたら、もうちょっと真面目に選ぶよね。

もしかしたら死期が早まってガチで選ぶ日が近づいたのかもしれないけど、その時の選考基準が俺にはちょっと想像がつかない。

誰がやってももう無理じゃん、という感覚に関してはかなり納得しているので。

 

 

以上、ほんの内容とはほぼまったく無関係の感想に飛んだ話。

こんな読まれ方をする本も気の毒っちゃ気の毒。

 

けど本筋のAIの話もとっても面白かったっすよ!

この辺はもっと面白いレビューがいくらでもあるから俺が書く必要はないよね!