これはもうちょびっと痛切に自覚されるべきことだと思う。
いやまあ、本人の自意識的には出来る限りの理念を追及しているんだ、って言うと思うけどね。
「だって他所も同じことをやってるんだもん」
「こうしなきゃ競争に勝てないんだもん」
いっくらでも言い訳のタネは転がっている。
一方で踏みにじられている「理念」や「ビジョン」って奴もあるわけで。
同じことの繰り返しですよね。
「労働搾取によってしか成立しえない業を回すために、そこから、スラしていく」
Colin Kaepernick Nike Commercial FULL VIDEO
※あの産経が取り上げるというすさまじいギャグ。
この人たちにとって道具に過ぎないのは丸わかり。
問題が持ち上がるたびにイメージ先行型の広告に巨額の資本を投下し、搾取可能なステージを次々に切り替えていく。
これが繰り返されてきたわけだけど、問題はなんでそれが繰り返されるのか、だよね。
おそらくは。
この搾取を不正と捉えて対策することを要求する消費者がマジョリティであれば、こういうことは起こらない。
ただし。
この「労働搾取させない」という理念を追求した場合、最終製品に跳ね返ってくるコスト増は2割3割では効くまい。
ここで立ち止まって考える必要がある。
そのコストを、消費者は受け入れる覚悟があるのか? と。
NIKEだけじゃなくて、受容しやすい(懐の痛まない)理念はあらゆる企業からバンバンに広報されまくってる。
キレイゴトだらけだ。
素晴らしいことだよね、いいことだよね、という誰も反論不能な理念。
一方で、同じように誰もが反論できないはずの理念であっても、その理念を追求しようと考えるかぎり、そこには確実にコストが発生する、その費用負担をだれが負うのか、という理念になると、企業はそっぽを向く。
消費者に売れないからだ。
少なくとも、最終製品にそのコストを転嫁した時に、理念とともにそれを呑み込んでくれるであろう、という消費者への信頼がないからだ。
そしてそれはおそらく、ムナクソ悪いが間違いなく正しい。
俺だって何も知らなければ間違いなく安いほうに流れる。死ねばいいのに。
このさもしさ、足元を見られている感じが虚しい、とつくづく俺は思う。
理念を追求しているポーズをとったところで、企業はぜったいに利益の追求を捨てられない(それを捨てたら存在価値がない)。
企業は理念を追求する。
一方で、捨てて踏みにじる理念もある。
その理念を追求したところで、消費者には響かない(と、企業は思っている)からだ。
この「踏みにじられているリアル」の側が声を上げられるようになったのはこの時代のよいところだと思う。
これなんかはスマホで実態が動画サイトに上げられるというハイテックな告発が契機でしたね。
声高に語られる理念。
その裏で踏み躙られる理念。
両方を天秤にかけながら判断していきたいですね。
踏み躙られた理念が間違っているというのは企業の都合に過ぎない。
最終製品が多少高くなったところで、それでも消費するという態度で示したい。
そうしないと、いつまで経っても技能実習生が労働者としてまっとうに扱われない世界を消費行動によって支えることになるからね。
けっきょく「モノの値段が高くなる」ということに対するこの自分自身も含めた消費者の抵抗感の強さこそが、企業の「実態を伴わないきれいごと」にカネをかけることを肯定している。
掌の上で踊らされてるなぁ。
けどだからこそ、見栄を張って「道理に合わない低コスト」には飛びつかないようにしたい。結果として草鞋を履く羽目になるかもしれんけど。
フェアトレードを売りにしているみたいなこと言ってたパタゴニアさん・・・でしたっけ? もガッツリ中共への忖度に浸かってるようで。
いったいどう消費すれば、誰かを傷つけずに済むのか、もう何もかも分からないです。
この腐った連環から抜け出す方法ってあるのかね?
やっぱりホモサピは滅びるべきなんでしょうか? そんなことまで考える次第。
どう転ぼうが、搾取構造に乗っかったうえでの競争でしかない・・・んだよね。