あー、まぁねえ、となった。
複数人から聞いた内情のお話とか聞いてるとさもありなん、という印象は持ちます。
あくまで印象であって、実態は知りませんから表題の件については判断保留。
ただ、これがガチであったとして。
それについてブコメの皆さんが「倫理観ってあるの」と叩いてるのはどうなんでしょうね。
ヒトとしてそれは正しいのだけども、社員と同じ立場になっても上の指示とやらに抵抗し続けられるか、どうか。*1
自称優秀の集まりである官僚連も上からの命令であればすんなり決裁済みの公文書ですらも改竄・偽造するわけで。
葛藤した人間もそりゃ中にはいるから森友騒動のような形で露見したわけですけど、グルグル回ってる紙の右肩の捺印欄の行列見たら、それより圧倒的多数の役人官僚が己の考課に疵がつくのを恐れて不正を見過ごしてたわけですよね。もしくは現場猫*2やってたか。
(まあ、もしも現場猫やってたんなら「え、自称優秀って現場猫なのか?」というすごい恐怖が次は襲ってくるわけですが。)
生活の前に倫理が歪むのって当たり前だと思うですよね。
自分の生活が大事だから、少しでも暮らし向きが良くなりそうなら「殺してでもうばいとる」のも正義だよね、ってやってたのはほんの70年前じゃないですか。
開戦時には太宰も「スカッとしたぜ」って言ってたじゃないですか。
そんなもんですよ、人間。ホモサピが滅びますように。
理性や倫理の価値って、そうした人間の本性である軽薄さ酷薄さを常に意識させることだと思う。
ヒトに向かって投げることではなくて自身の内にある惨めさをどう克服するか。
理性や倫理に従えばそうはならんやろ、ということに彼が手を染めたのはなぜか。
彼がそうはならんやろ、ということに手を染めるほどの圧とはなんだろうか。
その圧に抗して自分ならば「そうはならん」ように貫けるか否か。
そういう問の立て方のほうがまだしもかな、と思った次第。
オレが気になるのはこういう「仕方がないじゃん」ということよりもですね。
「仕方がないじゃん」と生活を優先させるようなしぐさを普段とりながら、別の局面になると高邁な思想を語るその二面性なんですよ。
クズが徹頭徹尾クズである分にはむしろ清々しいと思います。
自分の利益を正義で糊塗しつつ、利益をちょろっとでも削られそうになったら正義捨てて逃げ出すような連中こそ苦手。
エゴイズムのために使い捨てられる正義だけが傷ついて、軽んじられていく。
そういう正義を拾い上げて「価値がないのはこれを捨てた連中の方だ」って確認するために、倫理や理性を使いたいですね。