afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

生きていることが辛いなら。

いっそ小さく死ねばよい。

詩人はかつてそう詠んだ。

 

ところで死の大小とは何だろうか。

 

悲惨な事故や災害で、大量の死者が出たらそれが「大きな死」なのか?

なにか大人物・時代の偉人が死ねば「大きな死」なのだろうか?

 

死の大きさと小ささ、どのように定義すればよいのだろう。

いっそ殺していただきたく、みたいなことを見聞きするたびに思う。

 

生き死にを決める最優先の権限はたぶん、その生命を持ってる本人に帰属するとは思うのだ。

しかしながら、その生命は必ずしも本人だけのものに非ざるとも思う。

始末をつけようとする時に、他者の手を借りなければならないのなら、なおさら。

 

「殺していただきたく」と嘆願された方は、どのような気持ちになるのだろう。

その生命に乗っかってる本人は「この命は他愛もないものでござんす」って思ってるかもしれないが、

その生命を預かる方にとって、感じる重さが同じであるということは有り得るのだろうか?

 

乗っかってる本人は、命ポイしたらいろいろスッキリするのかもしれない。

けど預かった方はポイするの手伝ったあとも生きていかなくてはいけない。

 

ポイする側への感情移入よりも、

次から次へと押し寄せる「命ポイしたい人」の要請に応えなければならない立場の人のことを思うと、ちょっとしんどくなる。

 

命ポイ、は「オレが望んでるんだから良いだろ!!!」ってのももっともなのだけれども

とは言ってもなあ・・・というポイするのを手伝う側の心情を慮るという思慮に欠ける気がしている。