どうという感想はないが、自分の中でちょうどタイミングが合ったので。
これ読んで
「先見の明はあったんやな。腕はついてこなかったけど」
って思ってたらブコメでちょっと詳しそうな人たちから*1総ツッコミ。
実現可能性そのものは「この捏造した人」じゃない人たちもいくらも指摘していて
それが時を経てモノになっただけ、というのが真相っぽい。
※まあこれもざっと見た感想なんで、また続報とかで捏造者もやっぱりすごかったんだよ、とかなったらすぐにひっくり返しますが。
こういう時にはやはりブコメって参考になるなぁ、と思う。
既に実現可能性が予言されてたけど
最初に実現した人が嘘つきだと判明したために
予言されている現象そのものまで大雑把に「これ実現しないんじゃないの?」
と懐疑的に見られて研究が停滞した、という指摘などは記事をざっと読んだだけではとても気付きようがなかった。
だもんだから、捏造ってやっぱり拙いんだなぁ(元記事はちょっと人間味のある話、って〆てるけども)って意識したところでこの記事見つけて不安になった。
結びつけて考える必要はないんだ、たぶん。
というか安直に結んでしまうようだと本当はダメ。
けどタイミングがタイミングなだけに、これも一つ目の記事のように打撃をそうとう広げるのかなぁ、と連想してしまった。
しかし、ここでいうタイミングというのも、たまたま自分がその記事に触れたタイミングに過ぎない。
これが数日おいて見かけた記事であれば、結びつけて考えることはなかったと思う。
いや「別の分野でもたしかこんなのあったの読んだ気がする」という連想はするかもしれないけど、『どれとどれ』が結びつくのかあやふやになってただろうから、そこまで印象づけられなかったと思う。
単純なアタマしてるな、吾ながら。
以上のようなことがあったので、昨今の
「おまえの趣味嗜好を先読みしてそれに合わせたあらゆるコンテンツを表示する」
という流行、すでに(自覚ないけど)俺の行動とか意識を把握・操縦してるんじゃないかという不安が湧く。
俺のスマホやパソコンを介した行動の全て、すでにスマホやパソコン(の向こう側の良く分かんねえ誰か)に握られてて、それに引きずり回されてるだけなんじゃないのか、って。
いや、介した行動だけならまだいいけどそうじゃなくて、すでに日常の大半を乗っ取られてるんじゃないのか? と。
じっさい、下の記事ははてなブログのトップページに表示されてる奴を気になってリンク踏んでみたんですよ。
こっちの閲覧履歴、完全に読まれてるっぽい。
なんだろう、不快とも言い切れないけど落ち着かない、なんとなくいやな感じ。
すごく言葉にしにくい。
買え! という圧がない分、強い反発も誘惑も起こらないのだけど、それでもなんか厭。
いずれ慣れるのかしらん?
だとしたらそれもけっこう気持ち悪いな。
偏向してることに自覚のある意識、それは自分が選んだ偏向だと思い込んでたのが実は最初っから誂られてた偏向に過ぎないということに気づいてしまうのはキッツイ。
俺は出来れば自己決定してるもんだと錯覚しながら生きていたい人間です。*2