今週のお題「読書の秋」
こっちと悩んだけど、
※三分割ポーランド時代の話。ホラーよりもポリティカルサスペンス? ともちょっと違うかな? 鄙びた村に派遣された支配者(オーストリア)の官吏が古めかしい因習を復活させる話。それだけじゃないけど、統治の始末をめぐる虚実のアレコレがいちばんキモな気がした。主役の官吏と陰の対話も面白いのでおススメしたい。一番お気に入りは燻ってた若者(マチェク)が不意にチャンスを目の前に見せられて「俺はこんなところでは終わらない」って急に覚醒しちゃってのぼせ上がるところ。のぼせた挙句恋人捨てたくなるとか最高にベタ過ぎんよ、でも気持ちは判るよ、っていうね。
これ読んだ後
あわせて読んでいただきたいという雰囲気を感じたので、こちらを推します。
以前読んだ本を再読。
うん、明らかに前より状況悪くなってる。
五年も経たないうちに(単行本は2013年)で悪くなったよな、と実感する次第。
今はまだ全然ましで 十年後、二十年後にはもっと酷いことになっているのかもしれない
とありましたが、そこまで待つことなく状況は悪化の一途を辿っております。
衝撃的なネタだったけど今となってはごくありふれてしまいましたね。時の流れは残酷なものです。
ただこの作品の底流を流れる想像力の欠如という問題は当時も今もまったく変わりなく、むしろそれが全然変わらないからこそ、状況は悪化するばかりってことなのかもしれないと思いました。
主役級がいずれも就職氷河期世代で、自己責任論ど真ん中な設定なのもいい。
想像力の欠如って、自己責任論とすごく噛み合せがいいんですよね。
転落していくプロセスには千差万別あって、そこに全く努力では及ばないような事情で転落した人があったとしても、そういうのをいっさい配慮せずに
「自己責任」「努力不足」
って一刀両断できてしまえるこの万能感。
ケースバイケースで検討を進めていくと、いくばくか社会の側にも責任があるんじゃないのか、っていう事情が浮かび上がってくるような事案であっても「自己責任ゆえお前が悪い」ってすべて押し付けてしまえるのは、ラクで面倒が少なくていいですよね。
そういう面倒のなさがすごく受けて、小泉政権は全国民の8割もの支持率を得たわけですから、吾も含めて、当時「自己責任」に酔いしれた国民は現状をそれこそ「自己責任」として受け止めなければならないでしょう。
こんなはずではなかった。
それこそ想像力の欠如であり、自己責任なのでございます。
物語の中では、話の区切りごとにその点が繰り返し言及されてます。
黙示されていたことから目を背けてきた想像力の欠如。
黙示されていたことが顕現したときに逃げる手段としての自己責任。
すばらしく卑劣です。
そしてその卑劣な社会に対する痛撃としての側面もある犯行。
この卑劣な社会を背負う側の検察も、その社会に歯を向けた犯人も、結局は社会をどうする事もできずに終わるという徒労感もステキ。
終章でちょっと登場人物のその後に希望が持てそうな雰囲気を醸し出しつつも、実はそんなことはないんだよ、というのが黙示されているのも、とても心地よいです。
今読むと話の語り口は陳腐なのかなと思いますが、この読後感はほとんど変わらないですね。リアル社会でも
大事件が起こった、さあ社会は変わらなければならない・・・
ってな語りでいろんな事がさんざん話題にされるけど、さてそれで、課題が黙示されていたころと、顕現したあとで社会はいったい何か変わりましたか、ってなるとまあ、これがびくともしないんですね。
話題として消費し終わったら何もなかったかのように平常運転に復帰するだけで、けっきょく何か改善したんですかね、というね。
作中で描写されている時期は介護保険改正の前後を回顧する形で描かれていますけど、それに限らず、「騒いだ割には何も変わってないね」っていう課題があまりにも多すぎる。そういう蓄積があるとますます読後の徒労感は深まる面もあると思いました。
眼前に黙示されている課題から目を逸らし、顕現したらひとしきり騒いで気が済んだら
また「なかったこと」にする、この繰り返しが人間社会なのだなぁ(詠嘆)
そんな気分に浸りたいときにおススメです。
そういう風に読むとラストに示された回復規程もとても脆い虚無感溢れる感じでとても味わい深くて・・・いいものです。