afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

優しくなりたい。

とんねるずのアレと、ここに10万人の宮崎勤がいます! のアレ。
ほぼ同時代のことだったんだよな、と思って考えた。

10万人の宮崎~はつい先日、けっこうなボリュームの検証記事が出て、実は当事者ですらも当時のことをしっかりと記憶しているわけではないということを伝えていた。

「10万人の宮崎勤」はあったのか?(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース


その記事を踏まえて少し気になった。

 

とんねるずのあのキャラについて、皆が持っている、そして吾が持っているイメージははたして正しいのか、と。

とんねるずがやったことの是非について断定するのはひとまず措きます。
本放送を丸ごと見てないので、どういうニュアンスで復活したのか分からないし、そもそも復活したということ自体にけっこう厭な感じは持ちましたけど、これはあくまで吾の先入観ですから、脇に置いておいて。

 

30年。
それだけの時間があれば雰囲気はある程度伝わって残るけれど、ディティールはだいぶおかしなことになっているというのが人間の記憶のいい加減さである。
しかも30年の間、みんなそれぞれ違う形で経験を蓄積してるわけだから、記憶の改竄も個々人の経験が違うことによって、オリジナルな歪み方が進んでるわけですよ。
(上記リンク先の記事参照してください。ただ一人の人の記憶を掘り下げていっても経年による勘違いや錯誤があって、なんとも人間のアタマはあやふやなものだと思い知らされるのです)

 

でさ。
今しがた話題になってる件のキャラ、話題に絡んでる皆の中で30年の間に色んな肉付けがされてて、きっと「30年前そのまま」のイメージを保持し続けてる人っていないと思うんです。
吾もちょっとかつてのキャラをどう思っていたのか思い出してみたけど、吾の周りではいま批判されているような強い叩かれ方してなかったし、吾もそんな非常識なイメージを持っていなかったな、という記憶が蘇ります。

 

当時そうだったから、今もそれでいいのだ、というわけではないですよ?

 

それが良いとか悪いとかじゃなくて、なんと言うんだろう、今なんで復活したのかわかんないけどあえて復活したアレに対する嫌悪感、人によって差があるのは、それぞれの人が30年の間に蓄積してきた経験の差も大きいんじゃないかしら、と思うのです。

 

当時とさほど変わらない意識でアレを受け止めている人

当時からは大きく規範意識が更新されてしまったため、アレを受け付けない人

との間は、当時はそう懸絶したものではなかったと思います(たぶん)。
その後の30年において差が大きく広がったのではないのかしら、と思った次第。

 

当時を知らない若い方からも大不評のようなので、アレが現代の規範でろくでもないのは間違いないのだと思います。ただその一方で、当時のままアレを許容している人も確実にいるのです。

 

この意識の差の分岐点として、アレを掘り下げてみるのは良いかもしれない、と思いました。
そのためには出来るかぎり、当時のリアルタイムな印象をきちんと捕まえないとダメだよな、と。

今は「当時それがどう受け止められていたか」に関しては共通認識があるようなないような感じで、
あの時代はなんか許容されていたアレ、と
今の時代にトチ狂って復活したアレ、の意味をきちんと考えるには、当時はどういう風に受け止められていたのか、なるべく当時に遡って出発点をしっかりと共有しておかないと、収拾がつかなくなるんじゃないかと思いました。

 

しかし世間では賛否両論という形にまで取り扱いの難しくなった
(※普通に論外なんでしょうが、受容している人もいるのでこう言っておきます)アレを
30年間イメージを更新しないままここまで来れた、そしてそれを出してもOKだと思えた
とんねるずに見えていた世界がどんなものであったのか、は激しく気になります。

 

彼の人たちは今世紀に入ってからも、靴墨塗って「黒人やで」っていう割と本気で気が狂ってるんじゃないかという映画も作ってたくらいなので、きっと違う世界が見えてるんだろうと思うんですが、何なんだろうね。

いったいどんな世界なんだろう?

 

アレを復活させようという企みと、それにゴーが出たのと、そのまま出したのと。

色々と不思議なものです。誰か止めようという人がいなかったのかしら。

 

変わってしまった世間の認識の移り変わりも気になるけれども、まったく変わらないままここまで生き延びてこられたフジテレビの認識というのも興味があります。