どこまでその言葉は届くのか、ってことに意識的にならなくっちゃいけないんだよね、という話。
前にも書いた気がするが、まあいいや。
ネッツは繋がらないほうがいいところとも繋いじゃう。
そのことに意識的になれる人って、どれくらいいるんだろ。
身内に語るのが悪いってんじゃないんだよ。
ごく狭い集団内の誰かをおちょくって愉快な気分になるのはホモサピに限らず哺乳類に共通の娯楽みたいだし、本能をdisってもしゃーない。
※アニマルスキーが褒めまくるイルカも、食うわけでもないカツオを小突いて放り投げて動かなくなったら「いらねえ」ってポイするんやな。後ついでにたまに群れで弱った個体を苛め抜いて落伍させたりする(こっちは群れの生残性を向上さす、という意味のある行為なのかもしれんが、イメージとは異なるよね)。
「ないもの」としては扱えないんだから、どう付き合うかが問題。
話がずれた。元に戻す。
そういう「身内で語るノリ」と、
「自分の望まぬところにも繋がってるネッツでの語り」
の違いについて、無警戒すぎるんじゃないかなー、と。
自分にも刺さるんだけどさ。
「誰か」に向けて書く時に、ホンのちょびっとでも
「届けたい相手とは異なる人」のことも考えたほうが、ネッツで発信する時には色々安心なんじゃないかな、って思います。
※「こういう書き方をすれば煽れるぞ」みたいなノリで書いてる人たちは知らん。
ネッツはいろんな人とつながれるけど、ひらけている分、届けたい相手にだけ言葉が届く、そこまで都合よろしき世界じゃないということもたまには思い出したい。