俺はどっちかって言うと末人。
落っこちてる時期になんとか読めた奴。
こちらで紹介されてたので読んでみた。
おもえば適当にそれっぽい名前のついた哲学本読んでたけど、だいたい頭からするするるっと抜けてるんだよな、というのを思い出した。
血肉にならない読書はクソやね。
本読めばいいってもんじゃねーぞ。
精神状態がアレで読み切れないかも、て思ってたけどなんとか最後まで読んだ。
あんま覚えてないけど、覚えてるところだけメモしておいて次回また再読する。
覚えてるところっつっても、タイトルの超人・末人のアレだけだけどな。
超人=へこたれない人
末人=なあなあで生きる人
大雑把にこう理解した。間違ってるだろうが再読した時にまた修正すればいいや。
末人は端から価値(カネや権力、力そのもの)を求めることをやめた人。
カネも権力も力も、ありゃあ大したもんとちゃうで。
って手を伸ばしもしないうちに諦める奴。
もしくは手を伸ばしたけど届かなかったんで価値を不当に貶める奴。
うーん、俺。
で、一方の超人の方。
これ誤解してた…と思う。
まっすぐに力を求めるもの、であるのだけど
そこに力を求めるには相応の素養がなければならない、みたいに思ってた。
そうではなくて、力を求めて苦闘し続けることが出来る人、その挑戦で跳ね返されても、手が届かなくても
「あのブドウは酸っぱいに決まってる」
「別にあんなもん欲しくないし」
という不貞腐れた態度をとることなく何度でもそれに向かっていける人、が超人なんだ、という風に理解。
以前にもなんかニーチェ絡みでは読んだ記憶はある。
けど超人はこういうもんではなかったような・・・?
もっとこう「超人の超人たる所以」みたいなもんが審査される風なイメージだったんだけど、この本だとまっすぐ力を志向する態度を貫くことが出来れば、それで超人なんやで、みたいな風味。
まあ何があってもへこたれず、真っすぐ貫く、ということは超人でもないと難しい、ということの裏返しなのかもしれない。*1
へこたれない姿勢を持ち続ける。
欲望に正直になる。
得られなかったからと言って欲望したものを貶めない。
諦めない。
誤読だろうが問題ない。読み手中心主義が正しい、ってのもこの本では紹介されていた。ひとまず俺は超人をそのようなものだと理解する。
理解したうえで、そうなれるかどうか?
この疑いを持つ時点で末人思考なんだろうな・・・
カネも権力も欲しいに決まってる。そこは認めよう。
認めたうえでそれを目指そう・・・とは思うのだが、へこたれないってのがハードル高いよなぁ。
いったん負けると立ち直るのにめっちゃ時間かかるし。
なるべく負けない範囲で欲望の対象を獲得することを目指そうか。
なかなか後ろ向きで超人志向とは大いにズレるんだけども、末人しぐさに慣れた俺がそれでも前向きに踏みだすためにはこのくらいを妥協点にしておきたい。
超人そのものとはたぶん、似ても似つかない何かなんだろうけど、それでも「超人・末人」の解説読んで、「超人になりたい」という方向にメンタル賦活できたんだから良しとしよう。
しかしニヒリズムだなんだと言われるが、意外と前向きやんかニーチェ。
ほかにもいろいろ読んでみたいね。心の調子がもうちょっと上がりそう。