歴史を書き直す。自分用しおり。
※追記。これ完全に誤読してた。
「投票権そのものを剥奪」するのではなくて
「投票率の母数から意思決定できない人を除外して、見かけの投票率を上げる」
って提言だったのね。
それにしたって「イヤ人の意思決定の能力の有無を判定する技術オメー持ってんの?」っていう疑問は消えないけど、「剥奪するなんてヒドイ」という非難は間違ってたと思うのでゴメンナサイする。
「たかが投票率を弄るために人を仕分けようなんてダサくてセコイ」
に切り替えていく。
ちょっと前のことくらいは覚えておいた方がいい。
それとも、揺り戻しかな。
つまり、どこまでの能力が備わったら主権者としての具体的権利行使の主体として扱うか、ということについての画一的な年齢をもって区分することにしたのである。
(強調は印象者による)
誰が投票する権利を持つか、それを恣意的に決めているのは国である。
その基準として、現行では「年齢」だけがその基準になってる。
成年間における能力のばらつきも、加齢による能力の衰えも規定されてはいない。これは、憲法が、選挙権の行使主体を、能力を根拠に多数者が判断できることを予定していないと考えるべきである。
この理路を用いて、違憲訴訟起こして勝利。
まあ国は控訴を検討。
無理筋だったんで諦めて和解。
この辺の流れから見ると
「能力によって権利の付与をお上が判断する」という方向でどうにかしたいっていう権力のお気持ちは全然変わってなくて、冒頭の記事はちょっとした観測気球だったんじゃないかな、と。
これから後期高齢者突入する人が激増することが目に見えてて、そういう人たちから相応の確率で生じる要介護者群を
「意思決定する能力がない」
とカテゴライズして合法的に投票権を剥奪できれば、社会福祉の負担を減らしたくてたまらない現役’sたちと財務官僚さんとかが結託して
「これらの人々に対する福祉を切って赤字を圧縮するぞい!」
ってするのも簡単になるよな、と。
「イヤだ!」って声を上げそうな要介護者を「この人意思決定能力ないから投票権奪うね」ってカテゴライズするのも自由自在になってしまいそうだし。
まあゼニのために負荷になる子供をころすことを奨励してきた国家(旧優生保護法による断種措置は左右共同の全会一致で国会を通り、1990年代半ばまで生き延びてるし)だから、そう転んでもさほど驚きはない。
とはいうものの。
現状、医療の現場では
「この人が本当に判断能力・意思決定能力を失ったのか否か」
を見極めることが出来ずに呻吟しているんよね。
恍惚に至っちゃった人でも、日の数分・数瞬かは覚醒を得ることがある、ってのはいろんな人が認めてるから「まだら認知症」なんて言う言葉が出てくるわけで。
能力によって投票権の付与・剥奪するにしてもだよ?
「この人は完全に判断能力・意思決定能力を失っており投票権を行使するに値しない」
っていう判断を下すのにかかるコストの方が、今みたいに一律投票権を付与してるよりもずっと高くなるんじゃないですかね?
リーズナブルに人の能力を算定しうる、って思いこんでる人たちがどうしてその境地に至ったのか、ちょっと興味ある。
シンプルなのが一番いいと思うけどね。どこに基準線を引くにせよ、一定年限で自動付与、ってのが安上がりだと。
ブコメ眺めててもつくづく思うんだけど、権利ってご褒美かなんかだと思われ過ぎと違うか。
能力を示せばそれへの対価として権利が与えられる、みたいな。
まあそのモノの考え方は好き好きだし勝手にすればいいと思う。
ただ西洋の概念にずっぷし浸かりながら「天賦人権説」みたいな
「ただ一方的に与えられる権利」すらも
「権利付与されてるんだから相応になんか支払えよ」って要求するメンタリティはややズレてる・・・というのは、もう少しは意識したほうがいいと思います。
つねに「自分が【誰かに】【なにがしかを】与える側に立っている」みたいな物言いに慣れすぎるのは危ない。