ホモサピは弱いので、すぐに合羽を着たり傘をさしたりする。
それでも袖や裾が濡れたりすると不機嫌になる。
樹の下にいれば、軒下にいれば濡れにくいのだけど、まったく濡れないということもない。風向きがちょっと変わっただけで吹き込んでくる雨に打たれるし、木陰だって葉と枝の隙間をつたって雨は落ちてくる。しばらく凌いで葉の上に溜まった雫が、雨を吸って大きくなって、それで重みで枝が垂れて大粒が落ちてくることだってある。
のらねこは、こういう環境で生きてるんだよな。
割と冷たい雨だったので、そんなことを思った。
のらねこはまだしも隙間が見つかるからいいけど、これ(めったに見なくなったけど)のらいぬだったらどうなるんだろう?
事情はどうあれ、捨てるというのはやはりギルティ。
それとも、それでも保健所に引き取ってもらうよりは生き延びられるだけマシ、とのらたちも思っているんだろうか。
けものもアレで感情が割とあるというのが最近分かってきたらしいけれども、「自分がころされるかもしれん」という状況を把握する能力もあるのだろうか?
ここでは敢えて「ある」と仮定したうえで。
それと比較しても「のらである方がマシ」という風にけものたちは考えるものなんだろうか?
今日の雨はのらの生活ではほんの序の口の試練だろう。
これから本格的に冬がはじまる。
どこかで野垂れ死ぬことも当たり前にある。
それでものらのほうがいいのかしら?
先日引き取られていったねこの動画を見せてもらいながら、そんなことを考えた。
その写って居るねこ自身は「のらでいた頃」よりは幸せそうである。
こっちの勝手な思い込みかもしれないが。
ただそれはたまたま運良く見つけて、たまたま運よく人間をあんまり怖がらない性格だったおかげで保護しやすくて、そしてたまたま飼い主が見つかっただけなのだと思うと、のらの中では異常に運の良かったねこなのだな、と感じる。
運の悪いのらの方が、ずっと多い。
目に留まることのあるのらよりもさらにずっと、想像以上にいるんだろう。
いぬになれば、もっと悲惨だ。
目についたかと思えば駆除の手が猫よりはるかに早く届く。のらで生きることすら難しい。
愛玩動物である以上、モノ扱いされるのはしゃーないことで言っても詮無いというのがリアル、なのかもしんないけどさ。
けものに、のらになるか、保健所で死ぬか。その2択を迫る。
迫るというか自分のご機嫌次第でどっちかを選び、けものに強要する。
これが人としてあるべき姿なのかなぁ、というのは思う。
商品としてサイクルが回らないとおまんま食い上げ、というおカネのリアルはあるかもしれんけど、ちょっとモヤモヤする。
いぬねこを看取らず捨てる、処分するって飼い主は、最後まで看取る飼い主よりもずっとずっと少ないというのが現実であるにしてもさ、一方でまだ愛玩動物商売の裏でこうやってbuy&releaseを繰り返しているホモサピもたしかに居るわけで。
そいつらの存在は少数だから無視してよい、
愛玩動物商売、ビジネスの倫理性は向上しつつある過程なのだから
というのには、命はちょっと重すぎるんじゃないのかしらね、という風に感じた次第。
売買双方の倫理が高み極まって、いずれ無責任にけものを扱うホモサピが根絶されるかもしれないという未来が予見できたとしても、そこに到達するまでに消耗されちゃう命のことを考えると、やっぱ止めた方がいいよなぁ、と思います。