自由と民主主義の世界。
そこまで深く考えてたわけじゃないんだけど、ここ数日の動きを見てて面白いなぁ、と。
マスクの話ね。
kaigyou-turezure.hatenablog.jp
これとか。
これとか。
個人的には後段のブログの方が慎重で信頼できるかな、と思ったり。
つか以前お医者さんに言われたのだ。
人間は無意識のうちに口にも目にも鼻にも触ってる。
マスクがあれば口と鼻に手指が直接触れるのを防げるからマシ。
って。
もうだいぶ前の話だし、今ではまた違う知見もあるんだろう。
しかしそう言われてから、風邪気味だなと思った時にはマスクつけるようになった。
それが効果があったのかどうかは正直分からないんだけども、副次効果として得られたものの方が俺には大きかった。
マスクしてると唇が荒れない。
それまでは毎年カッサカサになってパリッパリに割れてたんだ。
それがなくなった。
以来、マスクは常備するようになった。
コロナウィルス云々関係なく、安物のマスクでも唇が乾燥しないだけでありがたいのでこれからも使うと思います。
んで。
このマスク騒動でまた一連の話を少し、考え込んでしまったのだ。
これはやはり、法の網をかけて規制すべきものなんだろうか、と。
私たちは「個人の選択の自由」と「公衆衛生や治安維持など社会の安全」のバランスを、一体どのように採るべきなのか?
高度に発達した自由民主主義社会のジレンマは、政治が無能な社会と区別がつかない - maukitiの日記
前回の帰国者の検査拒否については、俺はどちらかというと空気より(強制して検査してしまえ!)だった。
しかし今回は少し考え込んでしまう。
医療現場のマスクが足りないというのは分かる。
分かるが俺もマスクは欲しい。規制されると困る。
我慢できないものでもないが、ある方がありがたい。
見つけたら買っておきたいという欲求が湧く。
我ながら一貫してない。
少しでも自分の身に降りかかってみると、原理原則論を通して公衆衛生を優先すべし、という感覚に抵抗が出てしまう。
ぜったいに無効というわけじゃないんだろ、と二つ目のブログを論拠に自己正当化を図りたくなってくる。
制限をかけるのならやはり、それは法やそれに準ずるルールによらなければアカンやろ、と思ってたけど
「空気」という曖昧なものに規制を頼ることで、そこからなんとなく抜け道が探してしまえる現状の方が、自分の得る利益が(今回のマスクに関しては)大きい、ということを思うと、あまり大きな声で「空気」を糾弾できなくなった気がする。
それはそれ!
これはこれ!
って開き直れたらいいのだが、さすがにそれはためらいがある。
そこまで神経太くなれない。
どう振る舞うべきなんだろうな?
流通規制して医療現場への供給優先とか確定してもらうとスッキリするんだけども。
そうなった時の反発は「検査拒否した二人」の比ではない集団としての圧がかかるだろうから、おいそれとはやれないか・・・。
しかし「空気」任せだとガチに逼迫してきた時に
「無効と立証されたわけでもないマスクを医療現場だけ優先されるのはおかしい」
みたいにゆるーく団結できてたあらゆる小集団が
「俺の方が優先されるべき!!」
って分裂して内ゲバはじめて、ろくでもないことになりそうな気もする。
早いとこ収束してくれないだろうか。