旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
近所の神社で早参り済ませたし、ちょっと早めに言っておく。
まだ早いか? というか
本年中は~
新年も~
とすべきだったか(どうでもいい)。
さておき。
自認の形として面白いな、と思った。
而してその正体は「単なる現状追認」に他ならないけどね。
おそらくはこちらの方がよほど実態に近い。
high-politics なる増田の言い分を鵜呑みにするにせよ、一方で四半世紀ずっと(ここ10年は投票行動においてすら)示され続けてきた沖縄の米海兵隊への拒絶をどう解決しようとしたか、というより高次のレベルでの課題を考えると「何も考えてねえ」と見たほうがよほど正解に近いと俺は思う。
てか同胞としての紐帯、国民の在り方を「考えてない」からこそ示された民意に対する代替案・妥協案の提示ではなくごり押しと無視・対話の拒絶が沖縄を除く国民一般の民意により支持されてるわけで。
自分のところに迷惑施設が降ってこないのならいいや、がその思考の根幹。
こうした思考様式をhigh-politicsなどと称するのはいろいろと全方位に失敬にあたると思う。
「自分が幸せならあとはどうでもいいです」のほうがよほど実態を表してると俺は考える。
負荷の偏在を無視して高尚なことを考えているフリをするのは、それはやっぱり「フリ」でしかないし、あまつさえ「札束でひっぱたいて奴らに押し付けておけばいい」と放言するのであれば国民・同胞の連帯というものに対して無神経に過ぎると思うので、「考えている」などとは言わないでほしい。
・・・
「考えてない」「どうでもいい」という本音を隠すための言い訳を、いつも俺たちは探している。増田にとっては外交・安全保障がたまたまそれだっただけ。
俺も考えてないくせに考えてるフリをしてる言い訳を抱えている。
来年はどうなることやら。
お国さんは「どうでもいい」とか「そんなことより○○が」といった思考停止で、いったいどこまで切り抜けられるのか。
そして俺自身、「考えてるフリ」だけでフラフラしていられるのはどこまで通用するのか。
世間は新型コロナ騒動でおもに身体の健康についてざわざわしてた一年だけど、割と精神面の健康もだいぶ狂ったことになってるな、と思った一年でした。
肉体よりも精神のほうがよほど脆弱になってるんじゃないかしらん?
構造に呑み込まれてそれに対応する最適化だけでひょろひょろ生きてなんとなーくお送りしてきた国家経営だったけど、この先どうなるんでしょうね?
対応すべき構造のほうがガラガラ変わっていってる中で、ちゃんと舵取り出来るのかしらん? かくあるべし、という国家の自画像は確立しているのだろうか?(他人事)
俺の方はまぁ・・・求めるレベルが低みの極みだからまあ何とかなるやろ!(やけくそ)
ともあれ、来年もなるべく健やかに過ごしたいですね。
皆さんもよいお年を。
年内また適当に更新するかもしれないけど、とりあえず。