afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

ネッツは言いたいことを言うだけの場所で、議論をする場所ではない。

お前さんら、なんか勘違いしとりゃせんか。

 

ひろゆきも切込も、一度でも問いかけに正面から応じたことはあるかね?

masterlow.net

 

連中に限った話ではない。

ネットでイキってるすべて諸々の人々に言えることだ。

 

geopolitics.hatenadiary.com

 

該ブロガーが入試の操作不正に噛んだときもそうだが、これもそう。

国会虚偽答弁118 というリアルを回避できる理路でのみ騙る。

何を問われているのか分かった上で、それを回避してムラに向けて語る。

こうした騙りはネッツのリアル。

www.tyoshiki.com

 

結局これも答えは出ずじまいで、支援者らしきファンネルたちも正面から答えることはしなかった。

運動? の崇高さ概念だけを騙り逃げに終始した。

当たり前だ。

そこで逃げてもムラに何らの損害もないし、正面から引き受けてもムラにとって何の益もない(該人物はまったく別の線でネッツファイターとしては引導を渡されたけど)。

 

ネッツってのはムラに向けたアジテーションの場であって、そこでムラの枠組みを超えて社会に向けて何かを為す場所ではない。

いつでもその課題について語り合うことから離脱できる場所で、なにが議論か。

いいかげん学習してほしい。

相互にのっぴきならない所に追い込まれた上でもないかぎり、めんどくせえ「敵」と正面から対峙するなんて誰だってやりたくねえんだよ。

はぐらかすし誤魔化すし逃げるし逆ギレするし黙って時間が経つのをやり過ごす。

 

「国会の虚偽答弁118」という憲政史上に燦然と聳え勃つ前人未到の数字はのっぴきならない、もはやどこにも逃げ場のない場所だからこそ刻まれたものであって、そうでなければ出てくるはずのないもの。

 

ネッツで相互に語り合いが成立するというのがもし万が一あるとすれば

「詰めても相手は席を蹴らない」

という相互の信頼、課題を前にして退かない胆力を相互に持っているという確信が成立してる場合に限られるだろうよ。そんなもんないけどね。

 

オレも最近まで

「流石にこの線からは逃げんだろうよ」

といううっすらとした信頼を持って他者を見ていたのでここで偉そうなことは言えないんだけど。

派手なことを喋りやすい割にめちゃくちゃ逃げるのにも適してるネッツで、真正面からの何かしらが成立することはまずないですよ。

徒労です。

どんな話であれ。

 

anond.hatelabo.jp

 

保育園日本死ね、以来だいぶこうした強いイキりはよくよく目にするけども、こうした自身の利益だけを派手に叫ぶ行為の果てにあるものを引き受ける胆力と覚悟とが連中のような、自分も含めた大多数の腐った生活保守のブタに備わってるとは思いません。

 

www.asahi.com

 

先行して手を打てなかったのかと叩き腐すことも自由。

増加に合わせられなかったのと同様に、減少に合わせて機動的に動けなかったことを叩くのも自由。

強引に加速させてそこに送り込み、そして強引に絞って路頭に迷わせたところでそこは俺の知ったこっちゃないというふうに嘯くのも自由。

「オレはオレの子のための保育が欲しいし、オレの子の下の世代の保育がどうなろうと知ったこっちゃないのです」

というのも自由。

該増田のように子無しをぶん殴って社会益を騙りつつ、その実際は自己利益の保存に過ぎないのを直視しない卑怯さももまた、自由。

自身が享受した子育ての環境を次世代に引き継ぐために負荷が増えますよ、となったらまた増田で叫びまわるのでしょう。社会益を盾に子無しを叩いたときのことなどかなぐり捨てて。

自らのライフステージが変わるたびに、「いま」立っているステージ外の人々を社会益の棍棒でもって殴り回る。国益でもって殴り回る。

万人の万人に対する戦い。なんて素敵な自由かしら。

 

ときどき自由ってむなしくなりますね。

こうした連中が、自身のムラから濁った色眼鏡で見た、ほんの欠片ほどもない社会を嵩にきて「日本死ね」だの「反日」だのと叫びまわっているのがネットだと思うと。

しかしま、それが人間というものなのかも知れません。

 

人生ってせつないね。

生きてるってなんだろう。

ホモサピが滅びますように。

 

 

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  • アーティスト:長渕剛
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参政党はたしかに神様も笑うんじゃないかなって。