立ってる者は親でも使え、が信条なので、割と人の痛みには無頓着です。
水原希子の名前って「文化の盗用」では?
文化の盗用・・・か。なかなかパワフルな。
2017/09/19 18:00
はてな匿名ダイアリー見てて思いました。
主義主張の是非はとりあえず措きます。めんどくさいし。
そもそも深掘りしたら右とか左とかじゃなくて増田その人のコンプレックスの鉱脈にぶち当たりそうな気もするし。
ってのが増田にはそれほどの痛みを与えるのだ、っていうのが何というか、新鮮な驚きでして。文化の盗用とまで痛罵するくらいに自己の誇りを傷つけられてしまったのだな、と思うとそこは同情が大きいです。
けどね。
吾といたしましては、
自身のルーツに従った本名に誇りを持って、それで正々堂々戦うのがいちばんかっこいいというのはその通りだな、とも思うのです。
が、ビジネス上「溶け込んだフリ」をするために便宜的に名を使う・・・というのもそれはそれでサバイバル術としてアリだとも思っています。
要するに、どっちつかずなのに気づいたんですよね、吾の中の基準が。
芸名を語ることが卑怯だと思うシチュエーションと、
そうではなく、武器として利用しているだけだと思うシチュエーション。
けっこう無意識のうちに使い分けているような気がします。
んで、その使い分けの根っこを掘ると、吾の場合は「ただの好き嫌いじゃね?」って事に気付いてしまいました。
それを誰かに説明するときに
「いや、単純にキライなんだよアイツ」
ってだけでは言葉が足りないような気がしたとき、それっぽい理屈をつけて
「~~故に吾はアイツが嫌いである」みたいな説得力を持たせようとしたら、増田みたいな言動をし兼ねないよな、というのを思うと、あまり増田を叩けなくなっちゃうのですね。
文化の盗用までは言いすぎだと思うけども、じゃあ吾はそういうやたら尖った物言いをしたことがないのかって考えると、どうも自信がなくなります。
まあそもそも、
自分のただの好き嫌いを理屈っぽく語るなよ、って話ですけどね。
けど気を緩めてるとやっちゃうんですね。自説に説得力をもたせようとするあまり、いろいろと共感を得られそうなパワフルでキラキラしたワードで飾り立てちゃいます。
ちょっと落ち着いて考えてみるとその好き嫌いの感情と理屈の間にはほとんど・・・ほぼまったく連関性がなかったりするよな、というのが吾のこれまでを省みたときの結論ですので、これからも心に棚を作ろうと思う。
理屈じゃないんだ。
パッションが君を嫌っている or 求めている。
分かってくれとは言わないが、自分のことを棚に上げて吾は叫ぶ。
そんな開き直り。