いいこと言うなぁ。
人物が高潔なんだと思う。
こういう人ばかりだったら良いのに。
勝ち負けではないのだよ。
であると同時に。
ここまでなるともうどんな言葉をかければいいのか、正直分からんのですよ。
信じていたものが崩れ去った衝撃で茫然自失としているのなら、いつか正気に戻ったときに「あれは間違いだったんだなあ」と受け入れられるかもしれない。
けどね。
この(ネット上では)たぶん影響力ほとばしる人々の振舞いを見てると、そういうのは期待できないんじゃないかな、って思うの。
朝日のそれが誤報ではなかったということを認めないようでいて認めつつ、だからこそ論点をずらして攻撃に転じる。
インフルエンサーの人はしばらく黙った方がいいよ、というアドバイスもしてるけど、どうもそれは届かないようで。
界隈の人気ツイッタータレントの皆さんが
「書き換えのどこが問題なんだ」
「今回は真報でも朝日は誤報を何度もやってるので論外」
といった具合にずらしていって反転攻勢に打って出れば、この言説に救われて、誤報ではなく真報であったことの衝撃から立ち直りやすい人も多いんではないかしらね。
傍目には無謀で、相互の断絶をさらに深くするだけの愚挙に見えるかもしれないけれど、人間には愚行権がある。己の誤りを正面から認めるよりもずっと、心地よく日々を過ごせるほうを選んでしまうんじゃないかなって思うのです。
でもって。
そんな風に自己の誤謬の否認に転じた「友人」に、一体どんな言葉をかければよいのだろうか?
そこがとても悩ましいな、と思うのでした。
吾だけならばいいけれども、おそらくは左右の立場を超えて今回の報道を重大な問題ととらえている人々も、自らの過ちを否認して閉じこもる彼らに届く言葉は持っていないのではないかしら、と危惧しています。
過ちを認めないことを声高に叫び続けるインフルエンサーが居るかぎり、相互の断絶は埋まることはない気がする。
それでも埋めなくてはならない、と呼びかけるだけの心のタフネスがないのは恥ずかしいところではあるけどね。
しかしこの先どうなるのかなぁ。
書き換えたのが官庁オブ官庁の財務省で
ダメ書類・ダメ予算執行をチェックして撥ね付けるはずの会計検査院が
「知ってた」言い出すとは。
まだ朝日の誤報だったほうが、色々とダメージ少なかった気がします。
完全に妄想だけども
これで行政が食らった信頼性への毀損は長いこと尾を引きそうな予感。
これで政治がケツまくって逃げ切ったら
「決裁した公文書を改竄してもOK牧場」って晴れて認められることになって行政への信頼は瓦解するんじゃねーかな。お咎めなしなら役人も政治屋の覚えが目出度くなるようにふるまいたくなるよね、にんげんだもの。
役人の信頼度が異常に低いバナナ共和国的な雰囲気になりそうだわ。