人間ちゃんの限界を感じざるをえない今日この頃。
これの終盤近く、無秩序に繋がりすぎて大変ろくでもない方向へ、というのがある。
これ見た後だったので、この増田と被るのかな、と思ったり。
(強調は吾のほうでやった奴。)
ヘーゲルは入場パスと公共圏の関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲルも最初からブチ切れたりはしない。「公論(公共圏における論議、もしくは公共圏そのもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由に意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。
「あぁなるほど」ってなった。正しいのかどうかは知らん。
ネッツは入場パスの有無についてはだいぶハードルが下がった観があるけど、それでも公論を立てる場としてどうにもしっくり来ないのはこの辺なのかなぁ、ととりあえず解釈しておく。
この辺をボンヤリ踏まえたうえで、表題に戻る。
ネッツで発信する時にさ
「いろんな人に見られている、想像力を持て」というじゃないですか。
けど人間の想像力の及ぶ範囲っておそらく、冒頭のページに挙げたような元々の小集団、5,6人のクラスタがいいところなんじゃないのかなぁ、と。
最近の(というわけでもないけど)そこそこ偉い人たちでも
「この人周りみえてんのかな?」
って首を傾げたくなる言動があまりにも多すぎるのは。
これは
「その人が異常」
なんではなくて
その人が従前付き合ってきた界隈、うまくやってきた界隈の視界の範囲内においては
「特に問題視される振舞いではなかった」ということではないかなと。
たぶん吾なんかもそうなんだよ。
こうやってネッツで書く時にまず「読んでもらいたい人」のことは意識しつつ
その他の人もなるべくDISらないように・・・くらいのことは意識するんだけども
この「その他の人」の射程がどうしても自分の経験の範囲の外には出ない。
ネッツ外の、じっさいにこれまで出会った人やらが「なるべくDISらないように」配慮する範囲の限界になる。
で、そういった「自分が届けたい人」以外への視界の広がりは、偉い人でも「経験を元に他者を想像している」点でたいして凡人と変わんないんじゃないのかな、と思ったのです。
さすがに偉くなると交友関係も広くなるだろうから「配慮しようと考えるその他の人」の範囲は吾より広くなるだろうけども、それでも個人の付き合える限界というのはある。
そして、ネッツでの発信力は偉い人になればなるほど遠くまで届いちゃうので、偉い人なりに「配慮してたその他の人」を超えて届いてしまって、相手を傷つけてしまうんではないかな、という風に捉えることも出来ないか、と思いました。
誰も彼もが繋がれるようになって、思いも寄らないところにも繋がってる時代に
防衛策として「想像力を持て」ってのは正解ではあるんだろうけども、限界もあろうよ、と思った次第。
イラッとくる言動をする偉い人というのは沢山居て、そういう連中の言動に想像力の貧困を見て本当にクズだなぁ、と見下げることも多々あるのだけれども。
自分の言葉も(射程が短い分届いてないだけで)、もしも届いたら他人を傷つける可能性は確実にあるんだな、と思うと、あまりその「想像力の貧困」を叩くのもかっこよい振舞いじゃないな、とちょっとだけ反省しました。
ただ。
想像力の貧困と欠如で傷つけてしまった相手からの異議申し立てに対する謝罪は必要だろうけども、あらためて「繋がってしまった」想像の範囲外の人に届く言葉を練り直すのはこれはよほどのセンスのある人じゃないと無理なんじゃないのかなぁ、と思ったり。
この辺が冒頭のサイトで示されている、集団と集団同士が接続するのではなくて、相互の集団の代表みたいなのが繋がりあって英知を高めるということなのかな、と。
「集団内にも通用する」
「集団の外にも架橋しうる」
そんな言葉で語れる人だけが、外と繋がる。
そのほうが多分、うまく行くんだろうな。
今みたいにある思想傾向を持って固まってる集団の構成員みんなが、好き勝手に繋がりあうとマウンティング合戦になりがち。
なんかもうフェミつらい
フェミに限った話じゃないが、運動の求心力の維持には、常に目に見える戦果が必要なんだと思う。/それが状況の改善に繋がるか、を振り捨てて「勝ち負け」だけが目的になる、そんな腐った泥仕合、他にも見憶えある。
2018/10/08 09:28
こうやって「自分の足を引っ張るバカな味方」みたいに切断することもあれば、
敵対勢力の「もっともおバカで無能な奴」を集中砲火で潰して「われ討ち取ったり」ってやったりする。
不毛だよなあ。
現状の自由な公共圏(ネッツ)における論議が
「やっぱり奴らはバカだった」ってムラの中の認識を深め合うだけに留まってるように見受けられるのはせつない。
現状どうやら「ムラの中では偉い人」も、ムラの外≒「経験を元に配慮している他者よりも外側の他者」に通用するほどの普遍性のある語りが出来ないのは、どのムラも大同小異なのだから、そこをお互いに詰ってもしょうがないのではないか。
不毛な争いから抜け出すには、公論を立てる公共圏への入場パスに
「相手の言ってることをひとまず呑みこむ度量」
「自分の言いたいことを相手(これまで想像の及ばなかった相手にまで)に届ける器量」
を条件として付け加えなくちゃいけないのかも。
こうなると参加できる人間は激減するだろうが。
まぁ・・・実際にできるか否かは措くとして、そういう心構えをもってネッツに接する、くらいのことは凡人でも出来ると思うので、変にカリカリせずにひとまず相手の言うことを聞く、自分の言いたいことを伝える時に少しは客観性があるかどうか見直してみる、ということは心がけていきたいな、と思った次第。
ちょっとここの所眺めてるネタのところかまわない延焼ぶりに中てられて、荒みがちになってる。深呼吸。睡運瞑菜。笑門来福。