恥の多い生涯を送ってきました。
私が右も左も(文字通り)分からなかった頃の話 - 今にも崩れそうな本棚の下で
すごい分かる・・・未だに慣れない。左右盲っていうのか。
2019/03/01 19:17
以前にも書いたと思うが、がんらい左利きである。
これを矯正した。文字書くのだけは。
食べる奴はなぁ。
お箸持つ手はなぁ。
未だに左メインなんだよ。
クッソ狭いお昼の定食屋のカウンターとかでたいへん窮屈な思いをするので、大人になってからこういう奴を買って少し頑張ったので、無理をすれば右手も使えるようになった。
KJC エジソン EDISON エジソンのお箸3 右手用(1コ入) (矯正グッズ)
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まだまだぎごちなくて、食事に集中できずぜんぜん美味しくないけどな。
というかみんな一斉に同じ時間にメシ食いすぎ。
なんなの。
急に忙しくなってお店の人も困るだろ。
そしてしばらくしたら人っ子一人いなくなるというね。
マジなんなの。
時間に割と余裕の利いた学生の頃とかは混んでたら「ヤメ」とか出来たけど、限られた時間で席の獲り合いになるのがホントに鬱陶しい。
俺の中では、仕事のイヤさ加減の2割くらいはこの昼飯の憂鬱が支配してると思う。
たまに外でなくても飯食えるような幸運があると、その日一日割と幸せなので、昼飯のストレス、右手でメシを食わないといけないイラつきは、あらためてかなりデカいと思う。
そんな感じでいまだに右左には苦しめられていて、世の中の右に利便性を配慮したデザインはまったくバリアフリーに欠如しているのでことごとく滅べと思っているのだが、中途半端に矯正したせいで、さらに生きにくくなっている気がする。
冒頭に上げたブログで「右と左が分からない」のを「左右盲」というらしいということを初めて知った。
子供のころ、右の染みついた人間って、左右の方向教えるときに「お箸持つ手」とか「字を書く手」とか教える事が多いと思うのだけど
お箸持つ手 なるほど、左だな
字を書く手 こっちは、右だな
ってなるので「どっちも一緒の手だよ」って言われて「???」ってなったことをほんのり覚えている。
てか俺・・・箸と鉛筆どっちを先に使えるようになってたんだろう?
どうも鉛筆を左手で扱った記憶がない。
たまに左手でためしに書いてみようとするけど、右専の人と大差ない文字にしかならない。かつては左手で書いた文字の方が巧かった幼少期があったのだろうか?
子供の頃の色んな習字とかぜんぶ処分しちゃってるからなぁ・・・検証のしようがないけど、どうも字を書くのは最初から右手でやっていたような気がする。たぶんだけど。
そう考えるとちょっと不思議だな。
以前は勝手に
「親が矯正させるのが途中でめんどくさくなって食事は文句言わなくなった」
のかと思ってたけど、周囲への迷惑具合とか生きにくさの度合いでは
「食う時の箸を扱う手が人と逆」の方がよほどアレだよな?
字を書く手が人と違っても手が鉛筆の粉で汚れるだけやん。自分が。生きていくうえでめちゃくちゃ困るって程でもなさそう。
なのになぜ左手で箸を扱う癖は放置して、右手で字を書くように矯正したのか。
解せぬ。
これはひょっとすると、矯正してないのではないか?
最初から箸と鉛筆で使う手を分けていたのではないか?
ちょっと今度訊いて確認しないといけない。
だいぶ話がズレた。
右も左も分からない、ってのは自分もたしかに苦しんだので、上記のブログ記事にはとても納得。うんうん頷きながら読んでしまった。
んで、矯正が完全にできてない、中途半端な俺みたいな場合は他人よりも分かってない度合い高いのかも、と思った次第。
単純な右左、っていうのもアタマの中でちょっと考えてからじゃないと正解出せないからね、いまだに。
「向かって右」「向かって左」なんかもすごく苦手。
なので人から道を尋ねられるのは本当にイヤだ。
たまに教えた後で
「あっ、右と左間違えた(ウソついた)」
って気づいて凹んだりもするけれど、これからは「左右と書いたときの「左」のある方が「左」」という風に意識しつつ、それでも尋ねられた時は左右盲の俺に聞くお前が悪い、と責任転嫁して、間違っても堂々としていたい。
※視力検査は最近十字ボタン式の奴があるよね。*1
*1:最初それで検診受けた時はちょっと感動した。医療現場はやはりユニバーサルデザインに配慮しておるのかもしれない。