先日の記事にコメントがついてたんで、返事代わりに。
トラバとブコメ欄が本番。
ここに「同志」がいる。
増田の事実誤認はある。
クラスター潰しで防ぎきれずに次のフェイズに移ってる現状を無視してる、とかね。
さておき、ブクマカたちの大雑把な群の傾向としてのアンチパチンコは以前からの潮流。
ここに来てその動きがさらに激しくなったのは否めない。
で。
ブクマカやトラバがことさらに言い訳述べ立ててるけど
通勤三密は良い三密、ぱちんこ三密は悪い三密、
ってこの価値判断がどうにもクソだよね、と。
通勤のリーマンの方がパチンコ通いより価値がある、ってのが。
通勤リーマンの方が数が多いからパチンコ通いより偉い、みたいなのが。
知るかよ、ただ頭数が多いだけで価値が決まるわけねえだろ。
社会がマジョリティのモノだってのはしゃーないにせよ、それは価値があるからじゃなくてただ数が多いから暴力的に支配してるだけだブタが。
好悪で言えばそりゃ、パチンコ通いの方が「うーんこの」ってのは思いますよ、俺は。
けどそれは俺の好みでしかないわけでさ。
それで人殴るには弱すぎるでしょ。
だから俺は、数に任せて増田からたつきの道を奪おうとしてるムーブには乗れない。
パチンコ嫌いなやつ死ね、って増田から名指しで言われてるので「イヤお前が死ねよ」くらいは思うけど。
いみじくもこの増田のタイトルが示すとおり、「嫌い」って感情だけで踏みつけにすることに何の疑問も持たないマジョリティってホント気持ち悪いな、と感じる。
憎しみだと意外と人を殺すのは難しいけど、正義だと簡単に人を殺せるので、自分の好きを肯定してくれる正義のロジックにはゆめゆめ用心しないといけないなあ、と思っています。
少なくとも、己の生活の安定のために誰かの社会からの退場を望むのは、俺の好みではありません。
正義があればそういう後ろめたさが吹っ飛んでしまう。
そんな麻薬には手を出さないようにしないといけない。
俺はそう考えています。今のところ。
とはいえ、いずれ何らかの正義を獲得して、自分の好みを補強して他人を踏みつけにすることがないとも限らない。
そもそも「オスのおっさん」というまあ社会的にはマジョリティの属性にあるわけだし、振舞いとして気付かぬうちに誰かを踏みつけにしてるのはまず間違いがない。
とはいえそれは何らかの正義に基づいてそうやってるわけではなく、自分の生き心地の良いように生きてたらそうなった、というふうに受け止めるのは忘れずにいたい。
自分の居心地のいいように振る舞ってそれに抗議されたら「世の中こうなってるんだよ」って正義を語るのってすげえカッコ悪いと俺は思うので。*1
今もなるべくただの好き嫌いでしかない、その上で殴ることを表明するようには心がけてるけど、もともと芯の弱い人間だからね。
いつだって何かの拍子に正義に取り込まれてしまう惧れはバリバリなので、繰り返し書き残す次第。
*1:なお抗議されたからと言って振舞いを是正するかどうかは保証の限りではない。俺は自分勝手な人間です。