GoTo騒ぎ。
なんで「俺を助けろ」って言わないんだろうね?
よく見る
「俺が助かることで波及して助かる他者が増える(だから俺を助けろ)」って語り口。
めっちゃくちゃキモイ。
そうしないと支持が得られないと思ってるのかもしれないし、まあWeb上では非難囂々っぽいからそういうのに流れるの分かるんだけどさ。
このキャンペーンで生き残れるのってたかが知れてるでしょ?
まさか全員がたかが1兆ちょいで助かると思ってる?
俺は俺一人のために5000兆円よこせって思ってるのに?
まあ上澄みの半数が一服すれば「良かったねえ」程度にはなるかもしれんけどさ、その生き残る半数の上澄みも末端は率先して削るよね? 己が生き残るために。
削り見捨てることが確定的に明らかな周縁部をもネタに含めて
「さあ俺を助けろ、俺を助けないと周りの弱者どもも死ぬぞ」
って、どうなの。
お前が助かりたいのはすごく良く分かるけど他者を巻き込むなよ、ってなる。
いずれ助かる過程において「救い上げる他者」「切り捨てる他者」を選別するんだからさ。
「俺が救われることによって他者が救われる」みたいなのは
「俺を守る肉壁のうちいくらかは残るから(肉壁は健在と言える)」って詭弁だろ。
俺は助かりたい。
俺は生き延びたい。
それは立派な動機で、不可侵のものだと思う。
そこでお互い生き延びたいもの同士が争うのは、それはしょうがない。
なんでそういうことをハッキリと言わないんだろう。
誰かを代弁したり正義を背負ってしまえば、それが全うされなかったときに「ただ助かりたい」と叫んだ時よりもはるかに激しい反動がくるのに。
お前は「こうすれば救われる」と言い放った相手を切り捨てて生き延びたな? と。
無為に放置されるよりはずっと救われる他者の方が多かったぞ、と喚くかもしれんけど
「けど棄てられた弱者はいるよな」ってなる。
自分だけ助けろ! ちう声が届いてその結果としてぶら下がりの他者が生き延びるのと
他者を背負ってる俺を助けろ! ちう声で自分が背負える範囲外の他者を捨てて、ごく限られた他者が生き延びるのとでは、ぜんぜん違う。
自己に税金が投入される正当性を主張するあまり、自己の生存を価値あるものにしたいと願うあまり、いささか行き過ぎた正義を行使しちゃいないかな?
もろちん、叩く方も。
GoToに予算を取られて確実に死が確定するくらいに逼迫してるところはGoTo殺しに走るのは当然だと思う。
俺の方が優先順位が先だ! っていうのも当たり前だと思う。
けどその時に「俺の背後にも、俺と同調する界隈がある」みたいな物言いになると途端に胡散臭くなる。
イラついてるのは分からんでもないけど、いざオチがついたときに引き受けられない強い言葉を使うのはやめた方がいい。
GoToで一服できたとしても、その過程で切り捨てざるを得ない他者が発生するのであれば、他者を引き合いに出すのは慎むべきだ、と俺は思います。
いくら背負ってても、状況が状況だけに投げ出さないと自分も共倒れて死ぬ、そんな状況だからこそ、不用意に他者を引き合いに出すのは危ないんじゃないかしらね。